【ノートルダム女学院中学高等学校】
「探究活動」×「哲学対話」 先進的な2つの授業

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※この取材は2020年2月に行ったものです

積極的に対話し(Communication)、他者と協働し(Collaboration)、情報を鵜呑みにするのではなく「自分はどう考える?」と問い続け(Critical thinking)、創造へと つなげる(Creativity)。この“4つのC”をキーワードに、グローバル化が進む現代社会で最も必要とされる力の育成を目指す、ノートルダム女学院中学高等学校。2021年度4月より「中学全コース、グローバル教育」をスタートさせ、「グローバル探究コース」と「グローバル総合コース」の2コース制に進化します。今回は、進化し続けるノートルダム女学院を訪れ、特徴的な2つの授業を取材しました。

授業 その1

中学2年生の「探究活動」
“ポスターセッション”

STE@M探究コース

自身の研究の成果を“自分の言葉”で伝える

これまでの探究活動の総仕上げとなる「ポスターセッション」を翌日に控え、本日は物理教室にてそのリハーサル。授業内容も斬新ですが、理科(物理・化学)担当の野々垣先生、数学科担当の酒井先生、数学科担当の粟田先生が、教科の枠を超えて指導にあたるスタイルも、探究活動ならではのものです。
集結した先生方のもと、生徒たちは3つの班に分かれ、クラスメイトを前に緊張に満ちた本番さながらの発表練習を行いました。

掲出されたポスターには、テーマを選んだ動機から実験方法・条件の提示、結果、考察までが、図表などを効果的に取り入れてまとめられています。授業の間だけでなく、放課後や自分の時間まで費やしたという研究内容はどれもユニーク。ポスターの構成にも個性がたっぷり表れていました。

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発表は手元のタブレットを確認しながら、ポスターのポイントを指さしつつ進行。反省点や今後の展開などを伝え終えた時点で質問を受け付けます。先生からはもちろん、生徒たちからも、ときに鋭く、ときに素朴な意見・疑問が挙げられます。それらを参考に発表の構成や順序、表現を練り直して、いざ翌日の本番にチャレンジです。

授業 その2

高校2年生の対話型の宗教の授業
「哲学対話」
テーマ:ロボットが人間を越える時代?

身近な問題から「人間とは何か」を考えてみよう

なぜ?を掘り下げ、対話を通して哲学的な思考を深める「哲学対話」。今日のテーマを話し合うため、宗教科担当の山川先生が用意したのは「人間になりたいと願うロボットの姿」が描かれたSF映画。まずはその一部を鑑賞し、ロボットを“人工知能を持ったアンドロイド(人型の人形)”と定義し、「人間が持っているもので、ロボットが持つと困ると思うのは何ですか?」との問いがなされました。
生徒たちは、問いに対する自分の答えとその理由をともに考え、対話によって問いを深め、答えを探っていきます。

対話は、机をすべて取り払い、サークル状に座り直して始めます。カラフルなボールを回しながら、生徒たちは自由に語り合います。生徒たちからは、物欲、殺意、好意、向上心といった意見が出て、その答えの理由を皆で語り合います。そして、それぞれの概念を深め、分かち合います。

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そうしてたどり着いたのは、実は「人間とは何か?」という根源的な問いへの答えでもありました。生徒たちが出した意見は、裏返せば、それぞれが思い描く「人間らしいと思う条件の1つ」だったのです。つまりロボットは、人間を客体として映す鏡。そして、この人間とロボットの関係性がそのまま、『旧約聖書』に記される神と人の姿(人間観)へとつながっていきます。人類の技術が発展する中、命や社会、環境などを考える上での倫理的な価値観へとつながっていくのです。

Teacher’s Commentary

栗本嘉子校長
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中村良平教頭

「探究活動」について
主体的に考え、自ら発信し、
学びを楽しむために

中村良平教頭

今の時代、知識・情報をただ蓄積することには、価値がなくなっています。インターネットという巨大なデータベースを検索すれば、すぐに最新の情報が手元の画面に示されるのですから。そのような時代だからこそ、対話ベースの授業や探究活動を通して、自ら問いを見つけて、その問いにつながる情報を調べて、その情報をもとに自分自身や仲間との対話のなかで考え抜き、アウトプットをまとめあげる。この一連の流れを、中学生の時から体験し、その技術を体得するということは、非常に重要なことです。将来、たとえ数学の公式や英単語を忘れることがあっても、経験によって自ら獲得した思考の方法は、決して体の中からなくなりません。そして、それは生涯にわたって活きる力になり、未来を生きる生徒たちの自信にもつながっていきます。私たちが目指しているのは、そういった学びです。

教科書や問題集で学ぶのとは違い、このような学びのなかでは、教科の枠組みというのはあまり意味を成しません。社会的な課題について議論したり、何かを調べようとしたりすると、例えば理科の範囲だけ、社会科の範囲だけと限定していては解決にたどりつかない場面が多々あります。でもそれは、生徒たちが出ていく現実社会が、そういった場所なのです。本校でいま次々と生まれているのが、教科の枠を超える授業。数学と国語のコラボレーションとか、宗教と保健体育で一緒に授業をやってみようとか。生徒たちも “ノッて”くれるので、学校全体が盛り上ります。こういう“学び”に対するワクワクした雰囲気こそが、学校には一番大切だと思っています。

「哲学対話」について
宗教が内包する力を教育に活かすために

栗本嘉子校長

宗教の授業というと、神父様のお話を聞くというスタイル思い浮かぶのではないでしょうか。もちろんそういう場合もありますが、私たちが大切にしているのは「対話」。知識を伝えるのではなく、対話を通して“考え方を鍛える”ことに中心を据えています。
21世紀型と呼ばれる教育方針が示されて5年が経とうとしています。新コースの設置などで、思考力を身につける、学びのオーナーシップを持てるようにと、生徒たちが深遠なる知の森に踏み出せる土台を形作ってきました。けれどそれはスキル重視の指導であっては意味がありません。自分の内面を掘り下げる、きちんと見つめる作業が対になっていなければならないのです。

例えば、プレゼンテーション。早いうちからの訓練でスキルを身につけることは可能でしょうが、人の心を惹きつけるかどうかは本来、パーソナリティにまで踏み込んで克服すべきもののはず。自分の内側を見つめることなく突き進めば、いつかは学習者の心が行き詰まり、空中分解を起こしかねません。
そうした問題に対して宗教は、特に、メキュメニカル=多宗教との交流を掲げ続けてきたキリスト教文化は大変に有効です。宗教の時間の中で対話を深める経験で内面を強め、自分は誰なのか、どういった人間かということを知り、考える。スキルだけに留まらない“本当の学び“にこそ一歩先の成長があると考えています。

Teacher’s Commentary

宗教科担当
山川啓先生

宗教の授業を、
自分の物語を作るための意義ある時間に

本校はカトリック学校として、生徒一人ひとりにキリスト教の心を知り、身につけてもらいたいと、「宗教」の授業を全学年で実施しています。宗教の授業には、聖書以外には特に決まった教科書がないので、いろんなものが題材に使えます。映像や文学作品は受け止められやすく、また物語性が高いので、自分に照らし合わせて考えるための素材に最適です。今回は、「人間とは何か」という難しい問いを掘り下げようと、最近ニュースなどでも話題になっているAI=ロボットを“人間と比較させる対象”として選びました。いろいろな意見が出されましたが、答えは1つではないのですから。現代社会の様々な課題に対して生徒が議論を深めることで、自ら人生を切り拓く力を身につけてほしいと願っています。

 

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