灘中学校・高等学校

私の教育 私学の子育てVol.1

先生に聞こう
先生インタビュー中学受験私立中学兵庫関西男子校受験生

大森秀治先生
※このインタビューは2016年6月に行われたものです。
先生からのメッセージ

私の教育 私学の子育て

先生が考える教育ってなんだろう? 私学の先生が思う子育てってどんなもの? 決まりごとも正解もない教育や子育て。 生徒たちと深く関わる先生から、そのモットーや考え、想いをうかがいます。
灘中学校・高等学校 教頭
大森秀治先生
Vol.1

教育とは、理解すること

灘中学校・高等学校 教頭
大森秀治先生
大森秀治先生

できない生徒の気持ちがわかるだろう

実は僕、灘では完全な落ちこぼれだったんですよ。当時は高校紛争が盛り上がっている時期で、かなりやんちゃもしましたね。そんな僕が灘で教員をすることになったのは、優等生ではなかった僕をおもしろがってくれた高3の時の担任が、僕が中2から高2まで国語を教わった当時の勝山校長に話をしてくれたからです。 それで勝山校長と面接になったのですが、そのときの口頭試問はたった2問。1問目は、「国語は好きか」と。国語の教師なんですから、嫌いなんて言えません(笑)。2問目は、「出世をしたいか」と。僕の答えは「ノー」でした(※注)。それで、合格です。 採用が決まってから勝山校長には、「最近の若い先生は、みんな勉強はできる。でも、勉強ができない生徒の気持ちがわからない。 君だったらわかるだろう」と言われました。それで僕は、「そうか。僕は灘で教師をやって、できない生徒や手のかかる生徒、やんちゃな生徒の気持ちを大事にしないといけないんだな」と思ったんです。それは僕の出発点であり、ずっと持ち続けているテーマですね。

※注 公立のままでいれば、転勤が可能で管理職ポストは数多くあるが、私立は、終身雇用に近く、ポストに限りがあるため。

自分の得意分野を認めてくれた友達が一番の支えに

僕はやんちゃでしたが、挫折もいっぱいしました。小学生のころ、もともとは算数と理科が得意な理系少年だったんです。でも、灘中に入ると、数学ができる子が山ほどいる。僕はこんなにバカだったのかと思って挫折し、だんだん気力がなくなっていきました。その時に逃げたのが、小説・文学の世界。国語は自分の中で一番苦手な科目だったのに、気が付けば国語はできるけど他の科目はできなくなっているという状況でした。 でも、その得意な国語をほめてくれた先生がいたことが支えになったし、僕が文学に逃げたときも「逃げている」とは絶対に言わずに、「将来、すごい小説家になるかも」とか、「文学に関してはあいつに聞け」と、僕の得意分野を認めてくれた友達が一番の支えになったんです。そうした風潮は、今の灘中・灘高にも残っていますね。灘の良さは、お互いの長所を認め合う子たちがいっぱいいることなんです。

大森秀治先生

転ばぬ先の杖は子供の足腰を弱くする

今は行動的にやんちゃになるより、心がくじけたり、不登校になったりする子が多くなりました。その理由をよく考えるのですが、やはり挫折を知らなさすぎて、うまくいかなかったときに屈託してしまうからではないでしょうか。 我々の時代は、世間も親も構ってくれなかったし、ほったらかしにされていました。ところが今は少子化で、小さい時から親が子供を大事にして、子供に失敗をさせない、転ばさない、怪我をさせないというように、構い過ぎています。もちろん子供が怪我をして喜ぶ親はいませんが、子供が育つには「こうしたら失敗するんだ」と自分で覚えて免疫力をつけていく失敗体験も大切なんですよ。 「転ばぬ先の杖は子供の足腰を弱くする」。これが私のポリシーです。ここで手助けが必要だと思った時に少しだけ手を出して、「ああそうか」と子供に発見をさせ、納得させてあげないといけません。

大森秀治先生

今のままでいいと思っている子供はいない

教師をやってきて、子供は皆、認めてもらいたがっていることがよくわかりました。今のままでいいと思っている子供はいない。皆がより良い方向にいきたいと思っているんです。 「勉強なんか嫌い」と言う子供は、何かへの反発であったり、逆にそう言うことで自分をアピールしたりしています。周りが過剰に求めすぎると、それに拒否反応を示すのが子供ですが、子供目線まで下がれば、「僕は、本当はこうしたい!」と思っているし、その子供は優れているものを持っています。子供たちがそれぞれ自分の能力を開花させようとしながら、自分の目指すところへ行きたいと一生懸命やっている姿。それが尊いんです。 それをたいていの保護者は、「なぜ努力しないんだ?」「勉強しなくていいと思っているのか?」とよその子供と比較しながら責めがちですが、それこそ子供のためには絶対にやめておいたほうがいい。やりたいけどできない状況や、なぜそうなってしまうのかを聞くことが必要なんです。

先生も僕のことを見ていてくれるんだ

子供は、いろんなことに関心を持っていますよね。たとえば、勉強よりクラブ活動に夢中になっている生徒がいたとしたら、「勉強はどうした?クラブばかりしているんじゃないか?」と聞くのではなく、「この前の試合はどうなった?」「今度はいつ大会に出るの?」と生徒が関心を持ち、話題にしてほしいことを話します。「先生が口を開いたら、自分ができない勉強の話ばっかりだ。もっと頑張れしか言わない」ではなく、その子が好きでやっていることを話して「ああ、先生も僕のことを見ていてくれるんだ」と思わせることが大事なんですね。 もちろん注意することもありますよ。でも、注意ばかりではなく、「好きなことがこれだけできるんだから、他のことも気持ち次第でできるんじゃないか?」と話します。大人にはなかなかわからない子供目線とは、そういうことかなと思うんです。 ゲームばかりしている子供に、「ゲームをやめなさい」ではお互い話もできません。「どうしてそのゲームが好きなのか?」「どこが面白いのか?」と子供の聞いてほしいことからまず始めないと、子供も話す気にはならないでしょう。ゲームを取り上げることは物理的には簡単ですが、子供の心の問題は解決していません。僕は今、管理職になって子供の話を聞く機会は減りましたが、生徒だけでなく先生方にもそういうことがあるんです。だから先生方に対しても、そうやって話を聞くように心がけています。

大森秀治先生

学力を鍛えるのは“一緒に伸びようとする心”

家庭でしかできない教育もあります。例えば躾、他の人に対する思いやりや挨拶を教えることです。そういう挨拶や他人に対する配慮や思いやりは、学校でも育てられますが、家庭の影響が一番大きいと思いますね。 ただ、そういう気持ちが育ちにくくなっているのは、一つに激しい競争にさいなまれすぎて、家庭内で「あの子に勝たないと」と言ってしまうからではないでしょうか。ライバル意識を強調することが、孤独で気持ちの成長がない勉強になってしまいます。 本来、自分の学力を鍛えてくれるのは、“あの子に勝とうと思う心”ではなく、“一緒に伸びようとする心”です。自分だけが伸びるのではなく、「あの子があんなに頑張っているから僕も頑張ろう」「あんなによく頑張るなあ。僕もついていこう」という気持ちのつながりが自分自身も伸ばすんです。 中学受験も同様で、お母さん方の「あの子に負けたらどうするの?」は、実は禁句に等しい。同じ塾に通って、同じ学校を目指す縁があって、では皆で頑張りましょうという意識を持てば、学力も心も育ちます。そういう意識で頑張ってきた子は、中学に入っても確実に伸びていきますよ。 もちろん試験は非情ですから結果は出ますが、泣いた人にも次の世界は必ずあり、次の世界で花が開くように保護者がサポートをしてあげることが大事なのです。

子供に盲目になってはいけない

最近の親子はとても仲がいいです。それは一概に悪くありません。ただ、「子供はいずれ離れていくものだ」「いずれ離れていかないといけないものだ」という意識を親が持っておくことが大事ですね。 実はお母さんとべったりに見える子供でも、それは「お母さんは僕のことを大事に思ってくれているんだな」と思う子供の優しさからで、どちらかと言えば子供の方が大人目線でお母さんと付き合っている家庭が結構あるんです。その場合は大丈夫です。問題は、お母さんの方が子供にべったりで、その切り替えがなかなかできないとき。特にお母さんの意識が大事なんですね。 最近は壁になれない親が多いと感じます。仲良きはいいことですが、何でもかんでも子供の言いなりではいけないし、ここは言わないといけない、ここは譲ってはいけないというポリシーを親もちゃんと持っていないといけない。そこを押さえたうえで、いつもガミガミと言わないほうがいいと思います。その部分を自覚的、客観的に接することができていますか?ということですね。 自分の子供が大事なことは間違いないのですが、子供に盲目になってはいけないんです。子供が行き過ぎていたり、至らなさ過ぎたりしたら、そこをちゃんとサジェストするのが親の役割です。

大森秀治先生

自分の可能性に対して心を閉ざさないでほしい

学ぶことの意味はいろいろあると思いますが、その一つは自分のやりたいことに出会うためです。「こんな面白い世界があるのか」と気づくためには、網羅的にいろんなことをやらないと、世界が狭くなってしまいます。いろいろ学び、知ることで、自分が本当にやりたいことを見つけられるんです。 そういうものに出会えたら、あとは先生だけに教わる必要はないので、自分でどんどん先へ進んでいったらいい。興味があることは、より深くやればいいし、それ以外でもっと面白いことがあるかもしれないわけですから、興味がないことでも間口を広く構えて、いろんなことをやればいいんです。生徒たちには、自分の可能性に対して心を閉ざさないでほしいと思っています。自分がどうなっていくか、何がやりたいと思うかなんて、本当にわかりません。

わかりたい、わかってやりたい

実は灘には家出をした生徒も結構います。家出をして、学校にテントを張った生徒もいました(笑)。 子供が何か行動するのは、子供なりの理由が絶対にあります。それが理屈として成り立つのか、成り立たないかはわかりませんが、頭ごなしに叱るだけではわかり合えません。もちろん僕も聖人ではないですから、生徒に理解されなかったことも、僕が理解できなかったこともあります。ただ、姿勢としてはわかりたい、わかってやりたい。そのためには、結局、コミュニケーションなんです。そして、そのベースには信頼関係が必要にはなってきます。 僕は、今の時代が間違っているとは思わないですが、子供を傷つけるからと当たり障りのないことを言うだけになっていては、子供とのつながりが築けないと思います。やはり、人と人との関係を築くためには、本音で接することが必要なんです。 その意味では、「親子が本音で付き合っているか?」「親が子供はこうあるべきだという枠の中でしゃべっていないか?」「子供の本当の気持ちを聞いているか?」が大切ですね。逆に言えば、子供の前で気持ちが裸になれる親の方が絶対にいいんです。親だからとあまりに頑張りすぎないで、しんどい時はしんどいと本音をさらけ出せることが大事だと思いますよ。 これは灘のシステムにも言えます。教員が6年間持ち上がりですから、どれだけいい格好をしても、生徒に本音が全部ばれます。教師が本音をさらけ出せば、生徒も教師に本音をさらけ出しますね。

大森秀治先生

灘の生徒は要領が良く、適当

私学の良さは、学校の伝統や教育方針がはっきりしていて、そのポリシーを長く保っていけるところです。要は、人事異動が少なく人の交流が少ないから、「うちはこういう学校です」というものをずっと守り続けられるんですね。 だから、私学を偏差値で選ぶのは違うと思います。子供が何を目指しているのか、あるいは自分の子供にこういう環境で学んでほしいという親の想いに合った学校を選ぶ。その意味では、私学は非常にいいですね。 灘には、まじめに必死で勉強しているというイメージがあるようですが、実はものすごく自由で、生徒はある意味要領が良く、適当ですから、高校からの入学生(新高生)は驚き、違和感を持つようです。でも、切り替えがうまく、やらなければいけないときはやる。ここまでは許されるけれど、これ以上はダメというバランス感覚が抜群の生徒が集まっていることに気づけば、そのやり方を理解していけるのです。 この世の中で生きていくには、人としての魅力、人間力が絶対に必要です。東大理Ⅲに行ったからといって、必ず優れた医者になるわけではありません。そうは言っても、相対的に、成績の良い子は人間力が優れていることも多いと感じます。なぜなら、各々の授業では何を教えているかに耳を傾け、それを取り入れる要領の良さがあり、いろんなことに対して素直に受け入れる受容力があるからです。今、大きく変わることで話題になっている大学入試に対しても、どういう入試制度になろうと、灘の生徒たちはそれに適応できると思いますね。

想像力を発揮させる教育を私学で

私学は公立よりもずっと均質集団です。もちろん公立もある程度は均質化されていますが、私学は家庭経済環境も似通っている部分が大きいです。それが悪いという捉え方も世間ではあるのですが、私たちは均質集団だからこそ、勉強はやりやすい、指導もしやすいと考えます。 では、多様性をどうやって養うかという話になりますが、地球とか国家とか多様性のある社会にいたからといって、多様性に対する認識や配慮ができているわけではありません。均質化された集団にいても、こういう世界があるんだ、こういう困っている人たちがいるんだということを想像力で補って、自分を鍛えなおすことができればいいわけです。要は、想像力なんですね。私学は、その想像力を身につけて発揮させるための大事な教育をやっていかなければいけないし、私たちは灘でやっているつもりです。

Profile
大森秀治先生
灘中学校・高等学校教頭。大学卒業後、北海道で非常勤講師を1年、大阪の公立工業高校で2年教え、その後母校である灘中・高の国語科教員に。後輩でもある生徒たちへ灘で培った人間力による教育と、揺るぎない情熱を注ぎ続ける。 教師歴は38年。
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大森教頭インタビュー Vol.2
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