灘中学校・高等学校

私の教育 私学の子育てVol.2

先生に聞こう
先生インタビュー授業中学受験私立中学兵庫関西男子校受験生

大森秀治先生
※このインタビューは2018年4月に行われたものです。
先生からのメッセージ

私の教育 私学の子育て

先生が考える教育ってなんだろう?
私学の先生が思う子育てってどんなもの?
決まりごとも正解もない教育や子育て。
ブレないモットーや生徒との向き合い方など、2年前の記事「教育とは、理解すること」が大反響を呼んだ大森先生。今回も先生の教育に対する熱い想いをうかがいました。
灘中学校・高等学校 教頭
大森秀治先生
Vol.2

教育とは、枠を作らないこと

灘中学校・高等学校 教頭
大森秀治先生

天は二物も三物も与える

ある時、受験生の保護者の方から「うちの子は水泳が好きで、水泳を辞めさせられるなら勉強せえへん!って言うんですけど、どうしましょう?」と相談されたことがあります。「辞めさせても勉強をしないのですから、どちらも頑張ればいいんじゃないですか」とお伝えしました。僕は何かに夢中になれる子は、他の分野でも必ず伸びると思っています。
運動で優秀になろうと思ったら、あらゆるトレーニングの方法や競技への取り組み方から自分に合ったものを選ぶ力が必要なわけですから賢くないとできない。一流と呼ばれる人ほど賢いと思います。もちろん、本校に入学したばかりの頃は運動が苦手という生徒は多いですし、何もかもというのは難しいかもしれません。しかし、向いているものが見つかればグッと伸びるものです。何かに優秀な子は他でも優秀ですよ。
ちなみに先ほどの水泳大好き少年も、本校に合格し、今では水泳の国体選手です。彼に限らず、部活と両立している生徒はたくさんいて、頭の良さは勉強だけに生きるのではないとつくづく思います。

大森秀治先生

待てば甘露の日和あり

灘には特に勉強に関しては優秀な生徒が集まってきますから、小学校時代の多少の自信めいたものが打ち砕かれる瞬間があるんですね。実際、僕もそうでした(笑)。
中学時代は幼いですから、自分を立て直すのに時間がかかることもある。そこから立ち上がるためには、周囲の待つ姿勢が大事なのですが、最近は教員も保護者も答えを早く求める傾向があると感じています。塾などではどうしても1、2年で答えを出さないといけないけれど、私学では6年間という時間があるので、生徒を焦せらせることなく長い目で見てあげたいですね。
僕の座右の銘は「待てば甘露の日和あり」です。お天道様のことはこちらがジタバタしても仕方がない、でもいつか必ず良い機会が巡って来るという意味の言葉ですが、そうやって確実に成長する生徒を実際に見てきているからこそ、待つことの重要性は痛感しています。

大学入試改革について

社会が求める人物像が大学に降りてきて、それがさらに中高に降りてきたのが大学入試改革という形かなと思います。昨年11月の試行調査(プレテスト)を見て思いましたが、あのままだと対応できるごく少数と、対応できない大多数という二極化が激しくなるだけではないかなと思いますね。
テストは基本的に差をつけるために行うものですが、もっと段階を細かくしたいなら従来のセンター試験の方が優秀です。私学のトップ校と呼ばれるところはこれまでの取り組みで十分に対応できる内容だとは思いますが、ああいった対応力は一朝一夕に身につけられるものでも教えられるものでもありませんから難しいです。

大森秀治先生

灘校生はなぜ東大に行きたがるのか

社会では「今時の大学は何をしているんだ?」と言うし、大学は「入社試験のやり方が悪いのではないか?」と言うかもしれませんが、大学とは本来、仕事に対する有能性をメインで養うところではないと思うんです。中高は言わずもがなです。会社で採用した人が有能ではなかったなら、そちらで育成したらどうですかという話です。
昔は大学入試のくくりも大雑把でした。僕は北海道大学でしたが、当時の北大の入試は文類・理類・水産類・医進・歯進というようなざっくりした出願でした。現在でも東京大学はそうですね。灘校生がなぜ東大に行きたがるかというと、一つには自分の将来を焦って決めなくていいのが魅力的なんです。他の大学だと学部・学科まで、場合によっては専攻まで決めて受けないといけない。もちろん、将来の職業を見据えて大学を選ぶことは非常に大切ですが、はっきり決まらない所謂「モラトリアム期間」も大事にした方がいいわけです。
はっきり決まらない期間は、換言すれば自分で考えて決めるための期間です。長ければいいというものではありませんが、学生時代に自分で考える時間や悩む時間をどんどん奪っておきながら、社会に出てから今の若い子は何も考えないと言うだけでは何も解決しないと思います。

「これしかない」は信じない

昨今では、将来のことを決めるのがどんどん低年齢化してきています。若いうちから自分の道を見つけることはいいのですが、若いうちに「これしかない」と思うのは「これしかしていない」「これしか知らない」であることがほとんどです。これ!と思ったものがダメになった時に、違う道でもやっていけるのが灘の生徒であり、卒業生のたくましいところだと思っています。
そうした生徒の姿を見てきているので、僕は「これしかない」を信じていません。実際にこれまで一番を取ってきた生徒がゴロゴロいるクラスの中に、それでも一番を取れる生徒は1人しかいません。みんなそれまでとは違うポジションに折り合いをつけるか、この世界で他の人がやらないことをしてやろうと思うから、多様性が生まれるのです。勉強ができるがゆえに影を潜めていた個性が開花することもあります。
一方で、どんなに優秀な生徒でもすべてにおいて一番ということはありえません。勉強でもその他の分野でも、これだけはあいつに敵わないというものが必ずありますし、やりたいことを我慢して勉強に時間をかけて一番を取っている生徒にしてみれば、やりたいことをやっている奴がどんなにまぶしく見えるか。それが他者に対するリスペクトに繋がっているのでしょう。
勉強が優秀な生徒ほど、謙虚で人間性も優れていることが多いと感じます。確かに順位や点数が出るものに対して、灘の生徒は燃える一面はありますが、「たかが勉強」だけで他者を見下すことなんて彼らはしません。もし見下すようなことがあれば、その途端、「お前何様やねん!」ってなると思いますよ(笑)。

大森秀治先生

生徒一人一人と向き合う教育を

私学の6年一貫教育は、生徒とじっくりと向き合えるのが長所。灘には各教科の教員8人で作られる「学年団」が中学1年から高校3年まで一貫して担当する担任持ち上がり制が伝統のスタイルとして定着しています。
授業カリキュラムは毎年、学年団によって作成・実行されます。その学年の生徒の個性やカラーに合わせるため、去年の中学1年生と今年の中学1年生で授業内容が大きく変わることも珍しくありません。授業だけでなく、修学旅行の行き先も学年団で決めるので、毎年変わるんです。
この学年団ですが、24回生の私が学生の頃は6人体制でした。昔の資料を紐解くと、19回生までは4人体制なんですね。興味深いのが、昭和43年頃、大学紛争の嵐が吹き荒れた20回生から6人体制に増えているんです。翌年が東京大学入試中止の年です。そこからさらに7人体制を経て、現在は当初の倍の8人体制になったわけです。人数を増やしたのは大学紛争で教育の現場が荒れ出したのがきっかけですが、その根底には「生徒一人ひとりと向き合わないかん!」という今も受け継がれる灘の精神があるように思います。
と言っても、僕らは生徒を見張っているわけではない。前例のないことを子どもが始めると大人は止めようとしがちですが、僕らは「それ面白いの?」と覗き込むだけです。世間に迷惑をかけたり、法律に違反したりしない限りは、自由に伸びようとする彼らの行動に外から枠を作らないのが灘校流です。大怪我をしそうな時はサジェストしますが、壁にぶち当たったり、転んで起き上がったりする際に、生徒が身をもって学ぶことは何よりの糧になるので、生徒の何もかもを管理しようとは思っていません。
生徒の自主性を尊重することは、将来、社会で生きていく人間力を磨くことにも通じるでしょう。やらされるものは勉強に限らず、伸びないものです。知りたければ教師が与えなくても生徒は勝手に自分で進んでいきますから、こっちが逆に「教えてよ」と言いたくなります(笑)。生徒の思考を阻むことなく、生徒同士が刺激や影響を与えあって伸びていく様をこれからも見守っていくことのできる学校でありたいですね。

Profile
大森秀治先生
灘中学校・高等学校教頭。自身も同校の卒業生であり、大学卒業後、北海道で非常勤講師を1年、大阪の公立工業高校で2年教え、その後母校である灘中・高の国語科教員に。後輩でもある生徒たちへ灘で培った人間力による教育と、揺るぎない情熱を注ぎ続ける。
灘中学校・高等学校

灘中学校・高等学校 http://www.nada.ac.jp/

大森教頭インタビュー Vol.1 https://cocorocom.com/archives/560