小林聖心女子学院中学校・高等学校 鐘の音を心に刻み、世界へ祈りを 休校中も私たちは魂を忘れなかった
カトリック女子修道会「聖心会」を母体とする小林聖心女子学院中学校・高等学校。1923(大正6)年に神戸市東灘区の洋館を借りて始まり、1926年に現在の地に移転。丘の上に高くそびえる塔の鐘(タワーベル)がキャンパスのシンボルです。小林聖心女子学院の生徒たちは、毎朝この塔の鐘の音とともに祈りを捧げ、1日を始めます。
この朝の習慣が、長く途切れることになったのが2020年春。新型コロナウイルスの流行により長期休校を余儀なくされた時期でした。学校に行けず、友達や先生にも会えない。これまであたりまえにあった日常が、あたりまえでなくなったことに、戸惑いを隠せなかった生徒たち。そんな彼女たちの心を支えたのが、4月から毎日動画で配信された、朝の祈りと塔の鐘の音です。
祈りと鐘の音を絶やさぬことで、小林聖心が守り続けたものは何だったのでしょう?
鐘の音を生徒たちに届け続けた教員と、鐘の音に支えられた生徒たちに話をうかがいました。

Teachers Interview

鐘の音を、生徒たちのもとへ… 動画配信された朝礼のお祈り

教頭 黄田 みどり先生

小学生から姉妹校である不二聖心女子学院で学んだ聖心の卒業生。大学卒業後は不二聖心そして小林聖心で教師として勤め、同校の魂の教育を体感する1人。

宗教科主任 平林 工先生

小林聖心女子学院に勤めて20年。朝のお祈りをはじめ、宗教教育を通じた生徒の魂の教育に長年携わってきた先生。今回の動画配信にも深く携わった。

ほぼ全生徒が
朝礼の祈りを学校にいる時と同時刻に動画視聴

―小林聖心女子学院では、朝礼のお祈りと鐘の音から一日が始まるそうですね。いつから始まったことなのでしょうか。

黄田先生
創立当初からです。キリスト教会や修道院では、朝昼晩に鐘の音を鳴らします。ミレーの描いた「晩鐘」という絵に、夕方の鐘とともに祈りを捧げている農家の姿が描かれているのをご存知でしょうか。時計がまだ一般的でなかった時代には、教会が鳴らす鐘が、人々の生活や心を律するものだったのです。以前は、1日に3回鐘を鳴らしていました。現在では朝の1回だけに減りましたが、全校生徒が鐘の音とともに祈りを捧げるのは本校の伝統の一つと言えます。

小林聖心女子学院のシンボルである塔の鐘(タワーベル)。アンジェラスの祈りを告げる鐘という意味で「アンジェラスの鐘」と呼ばれ、生徒たちから親しまれている。小林に校舎が移転した1965年に塔のそびえる現在の聖堂が完成し、翌1966年には、学院周辺の町名が「小林ハゼリ」から「塔の町」へと改名された。まさに塔の鐘の音が響き渡る町である。

―コロナ禍で、創立以来続いたその伝統があわや途切れそうになったのですね。

黄田先生
休校当初は止めざるを得なかったのですが、オンラインでの学習支援が始まった4月からのタイミングで、朝の祈りの配信を始めました。
本校では数年前から、生徒にタブレットにもなるノートパソコンを導入。manaba(マナバ)というオンライン学習支援システムを活用していたので、休校時も授業を配信することができました。そのときに、授業をするなら朝礼のお祈りもやるべきではと考え、宗教科が中心となって動画配信をスタートさせました。

平林先生
休校以前は、毎朝違った内容のお話や祈りのことばを生徒に伝えていました。それを動画にして毎日配信するのは大変でしたが、「毎日の習慣だった祈りを生徒たちに思い出させたい」という想いで取り組んだのです。

黄田先生
とはいえ動画配信ですので、視聴するかどうかは生徒の自由です。にもかかわらず、配信初日からほぼ全生徒が学校での朝礼の祈りと同じ8:20に動画を視聴していたのです。私たちにとって嬉しい驚きでした。

平林先生
生徒たちにとって、動画配信であっても、タワーベルを聞きながら毎日の朝礼と同様の祈りの時間をもてたことは、コロナ禍での心の支えになっていたのだと思います。友達と会えない、好きなこともできない、そんな中で、今までの自分たちにとってあたり前だった時間を想起する…そういう要素が祈りの時間にあったのではないかと。休校後に学校に戻ってきた生徒から話を聞いていると、そのように感じます。

毎日の祈りが、
困難にぶつかったときの自分の支えになる

黄田先生
小林聖心では、宗教教育を通じた魂の教育を大切にしています。毎朝祈りを通じて神様と向き合うことで、自身とも向き合う。また世界の人々の平安を願い、病気や貧困で苦しんでいる人々に何ができるかを想う。その繰り返しが、生徒たちの魂に刻まれ、成長の軌跡として残るのです。

平林先生
生徒たちによく人生を「竹」に例えて話します。長く高く伸びる竹が折れず強靭なのは「節」があるからだよねと。小林聖心ではなぜ毎日祈るのか。それは、魂に強い節をたくさん作るため。それが、実社会に出て困難にぶつかったときの自分の支えになるのだと話します。

黄田先生
聖心女子学院の創立者は、フランスの修道女マグダレナ・ソフィア・バラという方です。聖マグダレナ・ソフィアが生きておられた1779年~1865年は、フランス革命を巡る混乱期であり、コレラや天然痘などの感染症との闘いでもありました。そんな時代にヨーロッパを駆け巡り、女子教育の重要性を説き、14ヶ国で学校を始めたのは驚くべきことです。
私たちは鐘の音とともに祈ることで、「聖マグダレナ・ソフィアのように、世界の一員としての連帯感と使命感を持って、より良い社会を築くことに貢献する賢明な女性になろう」と魂に刻んでいるのです。

平林先生
本校には宗教的お祝いの行事がたくさんあります。特に大切にしているのが、5月25日の創立者聖マグダレナ・ソフィアのお祝い日です。 本年は休校期間にあたったため学校で開催することはできませんでしたが、例年行われている形に準じてお祝いの動画を作り、オンラインで配信しました。こちらもほぼ全生徒が視聴してくれました。
またこれは休校明けですが、10月20日の『感ずべき御母』と呼ばれる聖心女子学院のマリア様のお祝い日には、世界中に広がる聖心の学校が互いに呼びかけあい、コロナ禍における医療従事者、また貧困や暴力で苦しむ方々にメッセージを発信しました。世界各国約50校が参加したのではないでしょうか。
コロナ禍の今、海外の人々と対面でつながることはできません。姉妹校との国際交流もストップしています。ですが、世界中に聖心の仲間がいて、一緒に世界が背負う苦しみに対して心をあわせて祈るという実感を、こうした取り組みから生徒たちも感じたのではと思っています。

Students Interview

コロナ禍で見つめ直した自分の心。人を想い、希望をつなげることを忘れずにいたい。

小林聖心女子学院 高等学校 3年生Y.Rさん / Y.Hさん

お祈りで始まり、お祈りで終わるのが聖心
その当たり前ができなくなった

―お二人はタワーベルを鳴らす係だとうかがいました。

Y.Hさん
タイムキーパーという役名なのですが、高校2年生のときから務めています。小学生の頃から自分で鳴らしてみたいなと思っていたので、高校2年生からタイムキーパーになることができると知って、すぐ立候補しました。

Y.Rさん
私も去年からです。始めるときに、前任者の先輩に「どんな気持ちで鐘を鳴らしていますか?」と質問したんです。そうしたら「こうなったらいいなと願いながら、心を込めて鐘を打ってね」と言われました。実際にタワーベルを自分で鳴らしてみると、毎回いろんな音がするんです。鐘の音は学院のペースメーカーであり、自分の心のペースメーカーでもあるんだなと思っています。

Y.Hさん
鐘は15回鳴らします。ちょっとでも力を抜くと頼りない音になるし、強すぎると鐘がひっくり返ってしまって変な音になります。単純な仕事に見えて難しいんです。でも学院の近所にお住まいの方々も鐘の音を聞いているので、やりがいがあります。「いつも洗濯物を干すときに鐘が鳴るので、手を止めて黙祷しています」と近所にお住まいの方に言われたことがあるんですよ。

タワーベルを鳴らす二人

―コロナによる休校期間中は、鐘を鳴らすことができなかったんですよね?

Y.Rさん
そうです。鐘の音とお祈りとともに新しい一日を始めていたので、休校が始まった頃は違和感がありました。先生方が毎日、鐘の音とお祈りの動画を配信してくださっていたのですが、動画だと鐘の音がいつも同じに聞こえるのも自分の中では違和感を持ちました。

Y.Hさん
毎朝中庭に集まってお祈りしていたので、実際にそうしないと気持ちが悪いのです。1日がお祈りで始まり、お祈りで終わるのが聖心なのに、その当たり前だったことがコロナでできなくなった…。学校が再開した今も、感染対策で、口に出さず心で唱えるのがルールなのですが、つい口に出してしまいます。私たちにとってお祈りは、それくらい身近な存在なんです。

―創立者の聖マグダレナ・ソフィアのお祝い行事も、今年は動画だったと聞きました。

Y.Rさん
聖心には宗教行事で歌う聖歌がたくさんあって、特に聖マグダレナ・ソフィアのお祝い行事で歌う曲が、突き抜けるような感じがしてとても素敵なんです。それが歌えなかったのは残念でした。でも動画では字幕のように歌詞やお祈りが文字でも紹介されていたので、改めて深く言葉の意味を考えることができました。

Y.Hさん
私たちは皆、歌うのが大好きなんです。お祝いの行事の前には、教室でみんなと聖歌を練習するし、廊下を歩いていて他のクラスから歌が聞こえてきたら、自分も一緒に心の中で口ずさみます。お祈りもそうですが、歌は聖心の生徒にとって身近な存在です。

どんなときも、制約がある中でも
希望を見出すことができる人に

―コロナ禍での休校期間を通じて、お二人が感じたこと、考えたことがあれば教えてください。

Y.Rさん
学校にいると自分を振り返る機会が多いのですが、休校だとその機会が失われるのがもったいないなと思いました。でも聖心を卒業したら、自分自身で振り返りの時間を意識的に持つようにしないといけないんですよね。

Y.Hさん
聖心では作文を通じた振り返りを大切にします。普段の授業もそうですし、お祝い行事の後にも、学んだことや自分を見つめ直して、それを作文として書くことで言語化します。以前に書いた振り返りを読むと、過去の私が自分自身や世の中のことをどう考えていたかを思い出せ、そこからまた学ぶこともあります。
コロナ禍で学校に行けなかったときは、鐘を鳴らせないことや友達と会えないことに、繋がりが切れた喪失感がありました。でも今はそのときの自分を振り返ることで、当たり前のことに感謝する心を忘れず生きていかなければいけないと心に刻んでいます。

Y.Rさん
今年の学院の目標は「Be Artisans of Hope.(希望のつくり手でありなさい)」なのですが、コロナがあって、自分にできることって何だろうと考えました。私は、目の前のことに無関心にならずに取り組むことが、いつか遠い未来に希望をつなげることになるのではないかなと思っています。
航空自衛隊がブルーインパルスで医療従事者に感謝を伝える飛行を行ったように、私も人のことを想い、それを間接的でもいいから伝える行動を起こしていきたいと思います。コロナが収束しても、私たちはまだ10代後半です。これからの人生で何が起こるかわかりません。しかし、どんなときも、制約のある中でも希望を見出すことができる人でありたいです。