明星学園は1924年(大正13年)に、赤井米吉を中心とした4人の教員により、「個性尊重」「自由平等」「自主自立」の教育理念のもとに建学された。当時、画一教育から子供達を開放し、子供の個性や自主・自立を尊重する教育運動(大正自由教育運動)が盛んで、明星学園はその影響を多分に受けている。今回は堀内雅人副校長にインタビューし、明星学園を育み明星学園に育まれてきた教育理念についてお話を伺った。
中学生ぐらいで「個性」と言って 完結してほしくない
- 貴校のイメージとして、「個性」や「自由」というキーワードは定着していると思います。そもそも教育理念の中にこれらの言葉が含まれている事にとても興味を持ちました。今回は「個性尊重」「自由平等「自主自立」という貴校の創立以来の教育理念についてお話をうかがいたいです。
- 創立された大正13年に、学校が「個性」という言葉を掲げるのはとても挑戦的なことだったでしょうね。明治期に始まった義務教育制度、知識注入、画一化といったものに疑問が持たれ始めたのは確かにごく一部の層に限られていたでしょう。でも、大正期は一方で変化を必要としていた時代だったのです。欧米の教育制度に学び、新しい教育を実践しようという動きが着実に生まれ始めていました。そこに共通してあったのが、「個性」や「自由」という言葉です。そんな中、「成城小学校」に集まり、切磋琢磨していた赤井をはじめとする4人の教員は、一人一人の子どもをより大切に育てたいと、小さな学校「明星学園小学校」を森や池といった自然に恵まれたここ吉祥寺、井の頭の地に作りました。「個性」や「自由」が本校のイメージとしてあるのは、大正という時代のうねりと、一人一人の子どもたちを型にはめずに生き生きと成長させたいという創立同人の熱い思いが反映されているんです。
- 今の時代の「個性」や「自由」とは重みが違うのかもしれませんね。
- 「個性尊重」「自由平等」という言葉が当たり前に使われるようになった今の世の中で、「個性尊重」「自由平等」は、本校が最も大切にしていることを正確に表現できていないなと思うことがあります。世間では今、「自由」のいい加減さ、「個性」の持つわがままさといった本来の意味とは違う表面的なイメージが横行しているのではないでしょうか。「自由」も「個性」もそれを手に入れるにはとても厳しいものです。初めからあるものでもなく、人から与えられるものでもありません。言葉の氾濫の裏で最も「自由」「個性」に遠いのが現代であるという気もしてしまうのです。そのような意味で、現代に即した言葉の再定義は、本校の課題です。
- 難しい言葉ですね。
- そうですね。最近は「うちの子は個性的ですから」という使い方をよく耳にしますが、中学生くらいで「個性」といって、完結してほしくないなと。中学生くらいの好き嫌いって、小学生の時に上手くいったかどうか程度で、逆に自分の成長の可能性を狭めているんですよね。人間は群れるものだから、みんなと同じでありたいというのは本質的にあると思うんですよ。人にあこがれることはとても大切なことだし、いいなと思うものを真似することの大切さももっと言ってあげていいと思う。それを認めた上で、もちろん同じでない部分もあるわけです。それが「個性」ですよ。今はそれが逆転してしまっている。「個性」と言っていながら、人との違いをすごく気にして自分を縛っている。あるいは、無理に人との違いをアピールしようとする。中学生時代こそ、「個性」を言う前に、いろんな体験をし、本物に出会ってほしいと思っています。そんな出会いやぶつかりの中で当然、自分が見えてきます。中学生って、びっくりするくらい成長するんですよ。中学時代は、自分こわしと自分発見の時代でもあります。
- 「個性」という言葉が、逆に可能性を狭めることもあるんですね。
左から)8年生奥阿賀地方民泊体験 / タイ短期留学 / 第1回授業研究「哲学の授業」
卒業する時に自分で道を選べる「自由」
- 「自由」という言葉についてはどうお考えですか?
- 明星学園の考える「自由」とは、自分や周りの人にとって何がより良い選択か自分の頭で考えられること、もちろん難しいことだし失敗もしますよ。でもそれが保障されていること。そしてその先の、高校を卒業するときに自分で進路を選べることだと思うんですよ。選択肢が多いというだけでは、人は身動きが取れなくなってしまいます。自分で選ぶためには、知識も、勇気も、他者との信頼関係も、知恵もなくてはいけない。それを授業や行事、様々な活動を通して獲得させることが本校の目標です。そういった意味では、すぐにこれは嫌い、これは苦手ではなくて、しっかり向き合ってほしい。結果ではないんです。勉強も教科外の活動もすべて未知なものと出会う経験です。意味のある失敗、自分の思い通りにならない悔しさをたくさん味わってほしい。どちらも真剣に取り組んだ者しか経験できないんですよ。もちろん、致命的な痛手を負わせてはいけないという前提はいうまでもありません。
- 失敗を許してくれない時代なのかもしれませんね。子供の一人旅もバッシングされる時代のようです。
- 大切なのは、意味のある小さなけがを見守れるかどうかだと思います。それができないと結果的に大きなけがをさせてしまいます。その違いを大人が分かっているかどうかですね。危険から逃れる術を大人は教えられているのでしょうか。夜中に危険なエリアで遊んでいる子どもと一人旅をする子どもとでは全然違います。子どもが違うというより、親との関係が違うのだと思います。そこにどのような会話があるか、信頼関係があるか、見守られているか。思春期の時期、「孤独」に耐える経験をさせることはとても大切です。そこからはさまざまに世界が広がっていく可能性がある。でも「孤立」させてはいけない。それは大人の責任だと思うんです。
- 「個性」や「自由」が創立理念にあると、学校として今のような判断がたくさん必要でしょうね。
- 本校の小学校では、低学年では今でもナイフで鉛筆を削らせます。当然指を切ってしまう可能性だってあります。喧嘩をしたとき、ナイフを取り出したらといった心配もあります。でも、ナイフの便利さと同時に危険性を教えるにはこの時しかないんだと思うんです。教育というのは、常にリスクを伴います。でも、後に大きな危険から自分自身を守るには必要なことだと思うんです。確かに、何かあれば学校は批判にさらされます。でも、「個性」「自由」を謳うからにはそれだけの覚悟が学校に求められます。もちろん、できうる限りの安全に対する配慮は必要です。最も大切なのは教員ができるだけ手を出さず、それでいてしっかりと見ていてあげるということです。「見て見ぬふり」や「見ているふり」は許されません。保護者の皆さんの理解あってのことですが、それができるのは、小・中学校時代までだと思うんです。
- 最近はいかに失敗をさせないか、いかに怪我させないかを大人が先回りする風潮ですよね。信頼関係を築くためにどういうことをされていますか。
- 授業では「対話」や「議論」を大切にします。間違えることが恥ずかしいことではないこと、むしろ重要な意味を持つことがあるということをすべての教科を通して伝えています。といっても、中学1年生の頃はさまざまなトラブルが日々起きます。1年生に関わる教員たちは大変ですよ。特に男子は行動の理由を言葉で説明することができないことが多いですから、言語化して、何が問題でこのようなトラブルが起こってしまったかというところまで一緒に考えていかなければなりません。うちの学校はこういうルールでやっている、従いなさいと線を引いてしまえば楽なんでしょうが、特にこの時期の子どもたちには丁寧に話をしています。子どもが成長するにつれてそういう大変さも軽減されていきます。
- 丁寧な対応が成長を促進させるんですか。
- 丁寧な対応という意味でいうと、1対1で時間をかけるだけが丁寧な対応ではないように思うんです。うちの学校は教員も多様です。子どもとの距離の取り方もさまざまです。細かい校則はありません。でもそれぞれの立場から生徒と向き合ってくれています。「曖昧さが人を成熟させる」、そんな言葉を聞いたことがありますが、まさにそうだと思うんです。それはもしかしたら「丁寧」とは言えないかもしれませんね。
- 「個性」「自由」という言葉の難しさはよくわかりました。伝えるために、新たな言葉化はしていないのですか。
- ここ数年、校長とともに学校説明会や学校パンフレット、また在校生にも様々な機会を通じて絶対に勘違いをしないでほしいということを語っています。ただ、どうしても言葉が長くなってしまいます。昨年、本校は90周年を迎え、記念の学園史を編集しました。そこで永年学園史に携わってこられた大先輩の言葉に出会いました。<明星学園というのは「柔らかな鍛錬主義の学校」です>。明星の校風と「鍛錬」という言葉は一見正反対のように思われるかもしれませんが、「自由」ほど厳しいものはないんです。「柔らかな鍛錬主義」とは、全員一律に同じことを強制するということではありません。それぞれの違いを認めつつ、一つの共同体の中で各自が「きちんと向き合う」ということだと思うんです。私の中では明星学園を表す最もしっくりくる言葉です。
左から)9年生が吉祥寺ハモニカ横町で「落書きアート」を描く / 小学校工作の授業 / 9年生の大学訪問
集団の中で自分を活かすための「自立」
- もう一つの創立理念である「自主自立」について教えて下さい。
- 集団の中で自分を活かすことができるのが「自立」だと思うんです。だから、人に頼ってもいい。だけど誰かの役にも知らず知らずのうちにたっているというような集団性を重視しています。「自立」とは、集団の中に自分の居場所を作れるということでしょうか。
- 「自立」というのは集団の中という前提があってのことなのですね。
- どうしても「自立」というと、一人で何でもできるようになるというイメージがありますが、それは無理な話ですよね。人間は弱いものだという前提がないと、苦しくなってしまう。だからこそ助け合うことの大切さが理解できる。これから先も何らかの集団の中で生きていくわけです。中学校・高校の時期から多様な仲間のいる集団の中で揉まれながら自立を学んでおくことが大切です。そうでないと、集団の中で、本音を言えない、ぶつかりを避ける、そんな関係性の集団しか作れなくなってしまう気がします。
- 集団の中での「自立」で大切なことはありますか。
- 相手のいいところに気がつけること。そのためには自分に自信がないといけない。例えば、中学1年生、2年生の難しさは、自覚なく人が傷つくことを言ってしまうことです。相手を傷つけようとしているわけではなくて、自分を守るために言っているだけなんですよね。集団の中での「自立」ができていない状況です。自分の中の肯定できる部分が見つかれば、自分の中の欠点も逃げずに直視できるようになります。自分が相手から評価されていることが自覚できると、相手の長所を評価できるようになります。集団の中で一人成長する子が現れると、それはどんどん広がっていきます。集団が安心できる場に変わっていくんですね。中学生というのはとてもおもしろいですよ。
- 最後に今後のヴィジョンについて教えて下さい。
- 大正期に生まれた本校のような理念を持った学校は、その後の戦争の時代、高度経済成長の時代に次々に消えていきました。また、大学を作り、大きな学校へと変わっていったところもあります。でも、明星学園は愚直なまでに「小さな学校」のまま、現実と向き合ってきたように思うんです。本当の「自由」や「自立」は、特にそれを手に入れるまでのプロセスは、決してかっこいいものでも美しいものでもない、泥臭いものだと思うんです。教員として胃が痛くなることもたくさんあります。だけど、なんでも表面的なところで評価され、ストレスが澱のように溜まっていく現代だからこそ、一人一人を大切にする明星学園のような学校の存在意味があるのだと思うんです。それを守っていきたいですね。校舎は狭いけれど、入学した生徒がそこに自分の居場所を見つけることができ、あたりまえに悩んだり、泣いたり、笑ったりできる学校。卒業生から、社会に出てから明星の良さがもっとよく分かったよ、そう言ってもらえるのが一番嬉しいんです。
世間の抱くイメージと教育理念がこんなにも一致する学校は、珍しいのではないだろうか。「個性尊重」「自由平等」「自主自立」という一見確立された言葉が、一つの学校の中で、人に磨かれ、人を磨いていくのは私立中学校ならではの深い育みといえる。「個性」「自由」「自立」という言葉の難しさと素晴らしさを知る取材になった。
左から)小中運動会 / ゴミ拾いはスポーツだin井の頭公園 / クラス対抗縦割り交流会