理科教諭 平山 勲先生
本校の理科では、“自然科学における科学的なものの見方・考え方を学んでいくこと”を大切にしています。科学は対象に対して仮説を立てて実験、検証する知の体系です。だから僕は生徒たちに「授業は科学者とやっていることと基本的には同じだ」と言うのですが、自然を理解する上では、科学者たちがやっている方法を同じようにやることが最も自然に迫れるという考え方です。仮説を立てて見てみると、漠然としてしか見えていなかった対象を注意深く見ますから、物事がとてもよく見えてきます。漠然とものを見ていると、対象はなかなか何も見えない。それは理科だけに限らず、いろんなものに適応できると思いますから、僕たちはそういう課題形式の理科の授業にこだわっています。
出された課題に対して自分なりに仮説を立ててみても、クラスという集団の中では自分とは全く違う考え方をする人がいますから、自分の仮説に対して「あれ? もしかしてこれ違うのか?」と揺さぶられていきます。 討論や質疑応答を行うと、「その考え方はおかしいんじゃないか」と議論になることもあります。つまり、さまざまな角度から自分の考えが試されますから、そのなかで自分の考えを客観視して、より自分の考えを確立できるようになっていくのです。
クラスという集団も1つの社会です。その中に自分とは違う考えを持つ人がいることを知ることは、これから先の社会にもいろんな考えの人がいるんだと知ることにつながります。自分だけが常に正しいわけではなく、逆に自分が間違っているわけでもなく、いろんな考え方の中に自分というものが相対的に存在していると考えられるようになってほしいと思っています。また、集団の中には、論理的に考え理路整然と説明できる子も、卑近なことから日常生活を例にして考える子がいても構わないのです。ただ、どちらかをバカにするようなことがあっては絶対にダメで、間違っていたとしても、自分なりに考えたことは尊重されなければいけません。お互いの考え方を尊重しながら集団を作っていくことの重要性を学んでほしいです。
だからこそ、僕たち教師には“待ち”が大事です。答えを急ぐと生徒たちが「先生、正解を教えて」となりますし、考えなくなってしまいます。結果的に「合っている」「間違っている」はさほど重要ではありません。もちろんそれも大事ではありますが、もっと大切なことは自分なりの根拠を持って考えたかどうかです。だから「間違ってもいい、失敗してもいい」というメッセージは常に出して、「正しければいいわけじゃない」ということを伝えています。
まずは、ある物体の温度を1℃上げるのに必要な熱量、熱容量について平山先生が解説。
その後、課題が出されると個性あふれる課題形式の授業が進んでいった。
※現在、中学校の学習指導要領ではこの単元は扱われなくなっている。
しかし、物理現象の基本的な概念形成には非常に重要であると明星学園では考え、
高校の学習内容を中学校で実践している。
まず「?(ハテナ)」の人?
「銅の方が温度が上がる」という人?
「アルミニウムの方が温度が上がる」という人?
「同じ」という人?
POINT①「ハテナの理由」を聞く理由」
「何となくハテナ?」というのは避けたいのです。 ある事柄を、こっちから見ればこうかもしれないし、あっちから見ればこうかもしれない、と多面的に考えている生徒ほど迷うことがあり得ます。実は、物事をしっかりと考えている子ほど、ハテナになることは多いのです。 そういう大事さを拾い上げたくて、ハテナの理由は大事にして、できるだけ聞くようにしています。(平山先生)
POINT②「討論の重要性」
それぞれに理由を聞く中で、自分の考えとは全く違う考えもあることを知ります。自分とは全く違う捉え方をしている人がいると、「これは何だろう?」と頭の中で葛藤が起こります。それをスッキリさせるやりとりの中で、自分の考え方がどんどん補強されていくこともあるでしょうし、これは違うなと思うこともあると思うのです。そういった思考の“行きつ戻りつ”を大事にする必要があると思っています。(平山先生)
POINT③「教科書を使わない授業スタイル」
教科書は使いません。生徒たちが1時間、1時間作っていくノートが自分だけの教科書なので、それをより豊かに、より良いものにするための働きかけを、授業では常にやっています。中学に入ってきた当初は、毎時間ノートを集めてていねいにチェックしてコメントを書いて渡すということを毎時間やります。
書くべき項目はこちらで指示をしますが、自分の考えで予想を立ててその根拠となる理由を説明することが非常に大事ですから、ノートには自分の意見をまとめて、ノートを読み上げれば説明が成り立つようにします。それを何回もやっていきます。(平山先生)
いいんだと思えるようになった理科の授業
明星学園中学校で平山先生の理科の授業を3年間受けた田島夏子さんは、同高等学校を卒業後、東京農工大学・農学部へ進学。その後、京都大学大学院の理学研究科で野生動物研究センターに所属して、伊豆諸島の一つ御蔵島で野生のイルカを調査し、卒業論文と修士論文を書きました。現在は御蔵島でドルフィンスイムガイドとして、研究とは異なる形で野生のイルカに関わっています。 そんな明星学園卒業生の田島さんにとって、明星学園の理科の授業や平山先生はどのような存在なのでしょうか。
中学3年間の理科ノートを、たってのお願いだと言って卒業時にもらったような生徒です(笑)。授業の記録だから振り返りとして使えるものですし、課題形式の授業で生徒たちがどのように考えたかを知る重要な手がかりですから、僕にとって貴重な資料なんです。 田島さんはものの見方や考え方が深くて非常によく考える生徒でした。もちろん熱心に取り組む生徒はたくさんいるのですが、本質的なところを見つけ出して考えていくことができる生徒だったんです。ノートは僕の宝物として取ってあります。
授業の内容がおもしろかったので、それと相まって理科が好きになっていったように思います。ノートに絵を描くと、先生がすごく反応してくれて、それが嬉しかったんです。 理科の授業のノートの書き方は、大学生や大学院生の時の論文で同じ手順だったので役立ったと思いますね。意識したわけではないですが、自分の中にあるからこそ無意識にできたんだと思います。気になることを見つけ、気になったことを「こうじゃないかな」と自分なりに予想を立てて考えることはよくありました。
自分が考えている時は「絶対そうだ」と思っていますが、みんなが発表していくと「そっちの意見が合っているかも」と思ってしまうんです。結果的にそっちが正しいこともあり、考えを変えたら実は自分の最初の意見が合っていることもあり、人の意見を聞いてみることはすごくおもしろいなと思っていました。 授業では、平山先生がいろんなところで「そういう考え方いいね」と言ってくれ、私たちの意見を否定しないで育ててくれたから、意見を言えるようになったんだと思います。 今も自分は間違っていないんだ、自分を否定しなくていいんだと思えることは、私の自信になっています。
自分の中では中学3年間で得た自信や物の見方などが、その後の選択につながった気がしています。動物が好きなことは平山先生にも話していて、「動物を対象に研究や仕事をできることっていいじゃない」と言ってくれるから、好きな道でやっていっていいんだという自信をもらいました。高校でも大学でも、自分の好きを貫き通すことができた気がしますし、結局自分がやりたい仕事にも就けた原点はここだったのかなと思います。
9年(中学3年)の卒業研究で彼女が取り組んだのが、「今、なぜ動物の数は減っているのか」というテーマでした。彼女の当時からの意志がぶれないで今につながっていることは、すばらしいですね。表紙もいいんです(笑)。
高校でも浪人していた時も、精神的に平山先生にはお世話になっていました。好きなことが一緒で、どんどん理科が好きになっていったから相談もよくしていたし、それを受け入れてくれるから相談するという感じでした。
僕自身も大学では生物学専攻だったんです。僕もやりたいこともあったのですが、4年でそれをやめて教職の道に来たんですね。その意味では自分が果たせなかった夢を田島さんに託すところがあったのかもしれません。陰ながら応援していました。
本当に大きいと思います。面と向かって言うのは恥ずかしいですが、先生に恥じないように生きたいという思いはすごくありました。
その一言は教師冥利に尽きますね。利益を追求することが多くある世の中で、自分のやりたいことを突き詰めて貫くというすばらしさを、田島さんにものすごく感じるんです。 僕に恥ずかしくない生き方をしたいと言ってくれたことは本当にありがたいことですが、僕自身もまた、そういう生き方をしている田島さんからものすごく大きなものをもらっています。その源流が僕らの教育にあるとしたら本当に嬉しいことです。
教師である以上、理想とする教育を追求することに絶対に終わりはないんです。これでいいということがない。子どもたちは育ってきた文化や背景が違うから、常に同じではありません。その子どもたちに知的な刺激になることを提供し続けるうえでは、僕らにはこれで完成というものはないのです。 教えている中身が本当にこれでいいのかどうか、自分が実践していることがこれでいいのかどうかの見直しも常にするべきだし、授業自体ももっとうまくなりたい、もっといい授業ができるのではないかと常に考えています。