四條畷学園中学校

卒業生インタビュー – Graduate Interview –

発見!私学力
四條畷学園卒業生中学受験私立中学大阪関西共学校先輩後輩

卒業生インタビュー

創立当初から理念「人をつくる」を大切に、生徒の可能性を伸ばし、夢を実現させていく四條畷学園中学校。同校での学びが、どのようにして人をつくるのか。現在、医療現場で活躍する卒業生2名の思い出と四條畷学園の教育成果を感じるリアルな声をお届けします。
卒業生インタビュー1
– Graduate Interview –
中学での「実現する」という体験や実感が自分を支える力に

中学での「実現する」という
体験や実感が
自分を支える力に

PROFILE
阪本 哲紀さん
四條畷学園小学校から四條畷学園中学校(英数コース 現:探究クラス)へ進学。2012年に同中学卒業後、大手前高校へ進学し、京都大学医学部に特色入試(推薦入試)で合格、6年間を過ごした。現在、大津赤十字病院に研修医として勤務。

やるなら限界までのマインドが
部活で身についた

現在の仕事内容を教えてください。
阪本さん
去年大学を卒業して、今年の春から研修医1年目で、内科、外科、救急科などをローテートしている最中です。今は外科が終わって救急科にいます。
研修医として現場に行かれて手応えはありますか。
阪本さん
大学6年間の最後の2年間は実習期間でしたが、コロナの影響でほとんど実習ができませんでした。いきなり現場に出たような形になり、できないことが大半です。先生に教えてもらいながら一歩一歩頑張っています。
阪本さんが医学部を目指そうと思ったのはいつ頃ですか。
阪本さん
両親が医者で、小学校の卒業式の時に「両親のような医者になりたい」と言ったのは覚えています。働くなら人の役に立つことがしたいと思っていました。両親が医者という環境下で、気づいたら医者になっていました。
四條畷学園中学校の思い出を教えてください。
阪本さん
勉強と部活ですね。部活は陸上部で中距離を走っていました。日々の部活が本当に楽しくて、放課後の部活中心で1日が回っていました。陸上競技は大学まで続けましたが、楽しさを知ったのは中学での3年間だったと思います。陸上は個人競技だからこそチームが大事。そして個人としては常に自分の限界に挑戦するんです。失敗することもあるのですが、何がダメだったかを考えたうえで、また上を目指せる面白さがありました。陸上は精神力も大切な競技ですが、1人ではどうにもならないことでも、周りに仲間がいてくれたら力が出せます。それは部活を通して、本当に実感できました。そうやって陸上競技を続けたから、日常生活も頑張ろうと思えたんだと思います。やるなら限界までやる。そういうマインドが陸上競技で身につきました。やっている時はものすごくしんどいのですが、やり終わった後に達成感があって、それが楽しかったです。
部活に夢中になりながら、勉強面との両立はどのように工夫しましたか。
阪本さん
夜遅くまで部活しているわけではないので、帰宅後は必ず勉強する。それだけなのですが、工夫といえば工夫でしょうか。自分で切り替えはできていた方だと思います。家に帰って親から「勉強しなさい」と言われたことはなかったです。

自分で考えた勉強法を
全力で迷いなくやり切る

今、振り返ると、四條畷学園中学校らしさ、四條畷学園中学校の良さは何でしょう?
阪本さん
中学校では塾に行っていなくて、学校の勉強だけで十分でした。自分でプラスして教材をやったわけでもありません。ただ、授業だけは真剣に受けていました。学校の教材に少なくても3回は取り組んで、わからないことがあれば先生に聞き、間違えたところをもう一度やる。その方法を自分で考え、それを繰り返していたら、自然と成績も上がっていき、中2へ進級時に英数コース(現:探究クラス)から発展コース(現:文理クラス)に変わりました。
1年で成績が伸びた理由は思い当たりますか。
阪本さん
与えられたことをコツコツとやる。授業に集中して完全に理解する。それがすべてだった気がします。やるなら自分なりに全力を出し切り、完璧にしたいという気持ちはありました。ですから、中学だけでなく高校でも塾には行きませんでした。塾に行ってやることといえば、よほどプラスαのことをやる以外は学校の勉強をもう一度やるだけだと思うんです。それなら授業をしっかり受けて理解すればいいと思っていました。
高校受験に関して、学校のサポートはありましたか。
阪本さん
サポートというよりは3年間日々勉強して、そのまま受けたら合格したという感覚です。進路選びに関しては「成績がいいからトップ校を狙いなさい」と言われるわけではなく、僕自身が部活もできて高校生活も充実できると思えた学校を選びました。
四條畷学園中学校には「実現力」というキーワードがあり、阪本さんは正に実現している方だと思いますが、四條畷学園中学校のどういった学びがその育成に役立ったと思いますか。
阪本さん
「なわがくちゅう」は、やりたいことをやらせてもらえるし応援してくれる環境でした。例えば中学の中で、中学生としての「実現する」という体験や実感をさせてくれる学校なんです。中学で部活を頑張れた実感や成績が良くなった実感がなければ、僕は何もかもを今まで続けられなかったように思います。僕にとってはそれが部活と勉強だったのですが、「しなさい」と言われるわけではなく、自分がしたいことに向かって夢中になれ、成功を実感させてくれる学校だったと思います。
阪本哲紀さん

中学からすべてを自分で考えて行動
自分がやりたい、
自分がやらないといけないと
思ったことをやってきた

大学進学時は特色入試で合格されたそうですね。
阪本さん
京都大学が特色入試を始めた初年度で、5名のエントリーから全国で唯一私だけ合格することができました。一般的な面接の他に3時間くらい面接があって、題材を読んでそれについてどう思うかを教授とディスカッションするんです。自分としてはなぜ選ばれたのかわかりませんでした(笑)。そもそも特色入試を受けたのも、2次試験の前にあったので「早く合格が決まる」程度の軽い気持ちで、ダメなら2次試験を受けようと思っていました。
特色入試は、それまでの経験や考え方などが役立つと言われます。
阪本さん
基本的に中学からは、すべてを自分で考えて行動してきました。自分で考えて正しいと思ったことしか言えない性格で、そういうひとつひとつを丁寧に考えて行動していくという性分が伝わったのかもしれません。人に言われてやるのではなくて、自分がやりたい、自分がやらないといけないと思ったことをやってきたことが良かったのかなと思います。
周りに影響を受けたり、皆がやっているからと必要性がわからないのにやってしまったりということが特に10代は多いと思います。勉強法や進路選択を含めて、後輩にアドバイスしてあげられることはありますか。
阪本さん
僕がなぜできたかというと、「なわがくちゅう」という、自分の方法でやらせてもらえる環境があったからだと思います。ひとつひとつ繰り返し経験して実感していかないと難しいことだと思いますから、この環境の中で自分がやれることをやってみてほしいです。
四條畷学園中卒業後は大手前高校に進学されたわけですが、高校時代に伸ばせたことはありますか。
阪本さん
成績は校内でトップでしたが、大学受験のための模試を受けると、中高一貫校の人からするとずっと下からのスタートで、「どこかの医学部に入れたらいいかな」と思っていました。中学時代から勉強法は変えていなくて、自分で計画してそれをやるだけだったんです。でも、塾には通わずに自分の良いと思う勉強法を繰り返していたら、自然と大学入試本番までに成績が伸びていきました。
最初から京大が目標だったわけではないんですね。阪本さんにとって、挫折はありますか。
阪本さん
1つだけ覚えているのは、中2でコースが変わると、コースによって学習進度が全く違っていたんです。だから最初の1学期の中間テストが全くできなくて、それは家に帰って号泣しました。そこで「絶対追い付こう!」と思って、より勉強をし始めました。高校ときも、学外の模試などステージが変わった時にギャップがあり、それをクリアしようとする気持ちが軸になりました。
ギャップや悔しさを跳ね飛ばせるのは、部活での経験でしょうか?
阪本さん
なぜでしょう?(笑)僕はコツコツやっていくタイプであり、そこに自信があるのかもしれません。京大では、同級生の半分くらいは何もしなくてもできてしまうタイプの人たちです。でも、僕はコツコツやってきただろうなという人と価値観が合いました。京大は本当に自由に過ごせる環境で楽しかったですが、今回中学時代を振り返ってみて、中学時代の経験や考え方が今後の人生にも活かせそうだと思います。まだ2年間は研修医でかなり忙しくて辛い時もあると思いますが、新しい症例には自分から意欲的に挑戦するなど、実践を大切にしたいですね。
今後の具体的な目標や進路はありますか。
阪本さん
呼吸器内科に進もうと思っています。自分のタイプとしては、病気を治すのももちろんですが、患者さんを患者さんではなく、1人の人として接する関わり方が合っていると思うのです。呼吸器内科は肺がんやタバコによる肺気腫など慢性的な疾患が多くて、その中で患者さんとかかわっていって、緩和まで広げていきたいと思います。
卒業生インタビュー2
– Graduate Interview –
頭の柔らかい中学期から身に付けた将来に生きる力

頭の柔らかい中学期から身に付けた
将来に生きる力

PROFILE
尾高 優さん
四條畷学園中学校(6年一貫コース)を2015年に卒業後、武庫川女子大学看護学部へ進学。現在、大阪市立総合医療センター新生児科に看護師として勤務。

新生児科で
子どもの思いに気付いてあげられる
代弁者のような存在になりたい

現在の仕事内容を教えてください。
尾高さん
私は子どもが好きでもともと保育士になりたいと思っていました。紆余曲折あって看護師になり、子どもが好きなので小児科に行きたいと考え、今は、小児に関係する科が多い大阪市立総合医療センターに就職して新生児科にいます。子どもは年齢が下がれば下がるほど「痛い」とか「嫌だ」と言えないので、そういう小さな子どもの思いに気付いてあげられる代弁者のような存在になりたいと思っています。集中治療室の保育器に入っている700gくらいで生まれた赤ちゃんと、そこから大きくなって家に帰る大体2000gくらいまでの赤ちゃんを見ています。落ち着いていたら赤ちゃんたちは寝ていますから、育児の練習をしている気分です(笑)。
仕事のやりがいは、どういったところで感じますか。
尾高さん
赤ちゃんのママが小さく産んでしまったことを「私のせいで…」とおっしゃったりしますが、プラスに捉えたら、普通は見られないお腹の中での赤ちゃんの成長を見ることができているとも言えます。私が見ていても、赤ちゃんはママに自分の成長を見てほしかったのかもしれないと感じることがあって、そういう貴重な場に立ち会わせてもらえることをありがたく思います。
赤ちゃんだけでなく、お母さんたちもケアしてあげる仕事ですね。
尾高さん
もともと私が目指す看護として、赤ちゃんを見るのは当たり前で、そこに必ず関わってくる家族のケアも大切にしたいと思っていました。最初は「私のせいで」と涙されるママの姿を見てもどうしたらいいかわからなかったのですが、今年で丸2年働いて、プラスに捉えられるところを少しずつ見つけられるようになりました。ママの気持ちを考える余裕も少し出てきたと思います。

中学からの積み重ねで身に付けた
瞬時に物事に対処する力、相手の想いを想像する力

では、四條畷学園中学校の思い出を教えてください。
尾高さん
中高一貫コースの1期生だったので、入試説明会など何かと機会があるたびに、人前に立って話をすることが多かったという思い出があります。回数を重ねた分、初見の人でも物おじせずに話せるようになりました。大学の面接時も緊張はありましたが、その経験が生きてしっかり話せたと思います。 中学入学後すぐの合宿時から「ディベートをするよ」と言われ、それまで小学生だった私たちにはディベートが何だかわからない状態で話し合いをしていましたが、あの積み重ねによっていろいろな側面から物事を考える力や瞬時に物事に対処する力、相手が何を想っているのかを想像する力がつきました。
最近では当然の取り組みですが、当時は最先端の取り組みだったと思います。尾高さんたちはどのように感じながら経験を重ねていたのでしょうか。
尾高さん
当時は渋々やっていました(笑)。先になって力になるというのは何となくわかっていましたし、やることで自分に損はないと思ってもいましたが、放課後に時間を取られることも多く、部活がやりたくて仕方がなかったので、「なぜ、こんなことをしないといけないの?」と正直思っていました(笑)。
それが今になって、あの学びに意味があったと実感することはありますか。
尾高さん
発表の経験を豊富にさせてもらったことは良かったと思います。私はもともと原稿を書くのが苦手で、入試説明会で話すときも原稿を書かずに大まかな流れだけを書いて自分から出てくる言葉で話をしていたのですが、そういった現場での対応力やイレギュラーなことがあったときにも動ける力は、今の仕事にも生きていると思います。
他に学校生活で印象に残っていることはありますか。
尾高さん
一番印象に残っているのは先生との関わりです。私は小学校から金管バンドクラブでトランペットをしていたので、強豪クラブだった高校のマーチングバンド部に入りたいという理由で中学を選びましたが、高校生になってから部活動に制限があり、大会やコンクールに出場できないと言われてしまったんです。それでも私はマーチングバンド部に入り、「絶対に続けたい」「絶対に出場したい」と言い続けました。黙っていたら諦めることになりますが、絶対に諦めたくなかったんです。顧問の先生や担任の先生が私の気持ちを汲んで尽力してくださったおかげで、高3まで大会に出て、部活も続けることができました。先生とはその時に一番関わったと思います。
勉強面で工夫したことはありますか。
尾高さん
私は、テスト直前にしか勉強できず、好きな科目だけはものすごく頑張れるタイプでした。小学校までは算数が大嫌いでしたが、中学1年で河口先生に数学を教えていただいてすごく好きになって、そこから数学だけはしっかり勉強しました。数学検定も受けましたね。高校に入ってからは中司先生の化学がとてもおもしろかったです。数学・化学といった「なぜ、こうなるのか」がわかる教科が好きなんだと思います。そういう科目だけは集中して勉強していましたし、大学入試でも得意科目として活用しました。
授業での思い出は?
尾高さん
楽しかったのが中3での卒業論文です。クワガタにカフェインの入ったゼリーを食べさせて、カフェイン中毒について調べる実験を行いました。1人では思いつかないことも、グループだから思いついて行動できる。みんなの知恵や発想が集まった結果、おもしろい実験や研究につながり疑問を解決するためにさらに掘り下げる。今でいう探究活動が、とても楽しかったです。それが今も校内で受け継がれているなら嬉しいです。当時から「なぜ、そうなるんだろう?」「どうして?」「知りたい!」と私たちに思わせる実験をたくさん見せてもらいました。
友達との関係性はどのような印象ですか。
尾高さん
私たちは6年間一緒でしたが、いつも一緒にいてべったりと仲がいいというわけではなく、「この子はこういう子だから、何をしていても気にならない」という言葉では表せないような関係でした。今でも1年ぶりに会ったときに「久しぶり」と懐かしさでいっぱいになるわけではありません。何かあれば助けてくれるとわかっていて、いい意味で離れられる存在。気遣いをしなくても信頼関係ができているのかもしれません。中学のときは喧嘩もしていましたが、年々不思議な関係になっていきました。
尾高優さん

悩み迷った進路
今は自分に合っていると
思える看護師に

大学への進路を決めたのはいつごろでしょうか。
尾高さん
私は進路をなかなか決められずにいましたが、高3まで部活を続けるためには早く進路を決めなければならず、看護師だった母から看護師をすすめられて渋々決めました。当初は保育士になりたかったからです。大学進学後も化学の先生になりたいと転科を考え、迷ったこともありましたが、途中であきらめて投げだすのが嫌で、4年間看護学科に通い続けました。今となっては、子どもと関わりたいという気持ちは変わっていないので、新生児科は合っていると思いますし、看護師になってよかったと思っています。
卒業してからわかる四條畷学園らしさはありますか。
尾高さん
中学の頃から教科の勉強以外のことをたくさんさせてもらえる学校だったことは良かったと思います。大学入試センター試験が廃止され、思考力などを問う共通試験を導入することがニュースになったときも、「やっぱり私たちが学んできたことが必要とされているんだ」と思いました。頭が柔らかい中学生のときから積み重ねていくことで、「これはこうした方がいい」とわかる力がついていくような気がします。 私たちは中学から「柔軟に物事を考えろ」と言われて、実際には屁理屈を並べているようなときもありましたが(笑)、それさえ思い浮かばないと話が進みません。それを中学からやらせてもらっていたのは、いいことだったと思います。
四條畷学園で学んだことを今後どう活かしていきたいですか。
尾高さん
新生児のママの気持ちを考えることと、出題者の意図や問題の方向性を考えることは似ていると思うんです。相手の気持ちをいろんな方向から考え、自分はこう思うけど相手はどう思うか、必ずしもみんな同じ考えではなくて、多種多様で多面性を持っていることに気づける。そういった力は、ママから本音を言ってもらった時に対応できる力にもなると思いますし、相手を不安にさせないようにする力にもなると思います。せっかく中学期から学んだことですから、活かせたらと思います。