2022年に130周年を迎えた豊島岡女子学園。同校には受け継がれてきた教育理念や伝統があり、それが今の生徒たちを育んでいます。「道義実践・勤勉努力・一能専念」といった教育を6年間受けて、それを社会で実践しているのが卒業生。近年では「医師が多い」といったイメージもあるようですが、卒業生の多彩な活躍を知ると、同校の卒業生をひとまとめにできないことがよくわかります。今回は豊島岡での学びを軸に活躍される卒業生の皆さんに、卒業生にしかわからない豊島岡女子学園の教育について話をうかがいました。

PROFILE
弁護士
真下 麻里子さん
1999年卒業。早稲田大学教育学部理学科を卒業。数学(中高)の教員免許を持つ弁護士。宮本国際法律事務所所属。NPO 法人ストップいじめ!ナビ理事。いじめの防止活動として講演や教職員研修の講師等を務め、『TEDxHimi 2017』に登壇。著書に「教師もできるいじめ予防授業」「幸せな学校のつくりかた―弁護士が考える、先生も子どもも『あなたは尊い』と感じ合える学校づくり」(教育開発研究所)、共著に「こども六法練習帳」(永岡書店)等がある。二児の母。
真下 麻里子さん

法律を教育にどう生かしていくかを専門にしていて、主に扱っているのはいじめ問題です。豊島岡でも「いじめ予防授業」を行っています。私は教育学部出身ですが、元々は建築学科志望だったので、自分の中で消化できていないものがあり、20代のうちに無理に思えるハードルを超えて自己実現する体験をしたいと考えてロースクール(法科大学院)に行き、そのまま弁護士になりました。それが自分の中での大きな分岐点です。 法律の業界には教育学部出身の人がとても少ないので、法律と教育を生かす形で今のキャリアがあります。その意味で、他に替えがきかないことが、自分の強みだと感じています。弁護士の仕事は幅広く自由なので、「これが私の仕事」と言ってしまえば仕事になりますから、新しいことにチャレンジしていけるのはとても楽しいです。

聖路加国際大学大学院看護学研究科准教授
増澤 祐子さん
1999年卒業。聖路加看護大学卒業後、手術室看護師として勤務。看護師として働く中で、女性や家族を支えたいと思い、助産師免許を取得。助産師として多くの家族にかかわる中、よりよい助産ケアを提供したいと、聖路加国際大学大学院に進学。出産後の出血を減らす方法を研究し、看護学博士号取得。その後、妊娠や出産の情報を分かりやすく正確に伝えたいと考え、京都大学大学院で公衆衛生学を学ぶ。現在は、聖路加国際大学で看護・助産教育に携わる。
増澤 祐子さん

私は大学で看護師を目指す学部生の教育と、助産師を目指す大学院生の教育に携わっています。加えて大学院では、院生が学位を取るための研究論文の研究指導も行っています。
大学を卒業して看護師として働く中で、ある患者さんとの出会いがあり、女性を支援する仕事に就きたいと思いました。大学院に進学したいという思いもありましたので、助産師免許を取得できる大学院の養成コースに進学後、助産師として働いていましたが、目の前のお母さんや赤ちゃんだけでなく、幅広くお母さんたちの支援をするために何かできないかと思い、その研究をするために大学院に進学して看護博士号を取得しました。研究をさらに深めたいと思ったときに、たまたまポストがあったこともあり、大学教員になりました。一番に自分の後輩を育ててみたいという思いがあったので、今は出身大学で教鞭を取れることに、とても楽しさを感じて働いています。

循環器内科医
加藤 美香さん
1999年卒業。東京慈恵会医科大学医学部卒業後、循環器内科に入局し、慈恵医大附属病院に勤務。不整脈治療のカテーテルアブレーションやペースメーカーを専門とし、2014年同大学院医学研究科博士課程修了。結婚、出産を経て、現在は慈恵医大附属病院で循環器内科専門医として時短勤務しながら、二人の育児に奮闘中である。
真下 麻里子さん

出身大学の大学病院で循環器内科医をしています。専門は不整脈の治療です。出産前はカテーテル治療もしていましたが、今は育児があり、時短勤務で外来を中心に仕事をしています。医師を目指したきっかけは、小学校高学年の時に、一緒に住んでいた祖父を亡くしたこと。塾に行くときにいつも見送ってくれていましたが、ある日塾に「おじいちゃんが倒れた」と電話があり、そのまま亡くなってしまって私は大変ショックを受けました。祖父は医者が嫌いで全く病院に行かない人だったので、私は「家族に医者がいれば、亡くならなかったかもしれない」と思い、小学校高学年からずっと医師になりたいと思って勉強してきました。
今の仕事のやりがいは、外来に通われる患者さんから、「先生の顔を見たらすごく元気になった」、「話を聞いてもらっただけで、なんとなく良くなった気がする」と、会うだけで元気になったと声をかけてくださる方がいることです。自分が追加した薬や判断した治療がよく効いて「とても楽になった」と言われたときも本当に良かったと思います。また、祖父を亡くした経験が原点ですから、今、患者さんを診る時も、「自分の家族だったらどういう治療をしてあげたいか。何をしてほしいか」を、自分の判断軸として持っています。いろんな方がいて、いろんな治療の選択肢があると思うので、それぞれにとってのベストを見つけられようにしたいと思っています。

テレビプロデューサー
外山 薫さん
1999年卒業。2003年慶應義塾大学経済学部卒業後、テレビ朝日入社。夕方ニュース番組「スーパーJ チャンネル」ディレクターを経て経済部記者として財務省、日銀、流通業界などを担当。東日本大震災時には、原発ニュースを主に担当し、津波被害のあった被災地取材を経験。その後、ニューヨーク特派員となり 3年間アメリカ大陸を飛び回る。現在は、インターネットTV「ABEMA」のニュースチャンネルで、編成管理担当兼「週刊 BUZZ 動画」プロデューサー。二児の母。
増澤 祐子さん

私はテレビ朝日に勤めていまして、入社してからずっと報道畑です。夕方のニュース番組のADから始まり、経済部の記者になった後、また夕方のニュース番組に戻り、東日本大震災時には被災地を取材しました。その後ニューヨークの特派員になり、カナダからブラジル・アルゼンチンまで、アメリカ大陸のすべてを3年間飛び回っていました。帰国後に子供を2人出産し、24時間365日の報道の仕事にどう対応するかと考えていた時に、テレビ朝日とサイバーエージェントが立ち上げた「ABEMA」に呼んでもらい、今はそこで新しいメディアを作っています。
私は高校生でなりたいものが決められず、「手に職があった方がいいかな」という考えで大学を選択しました。入学した大学は公認会計士資格の合格者数が日本一でしたが、私には公認会計士は向いていないと気づきましたね。その後、大学3年生の就職活動時に「いろんな人の話を聞けて、「人の人生のダイジェストを見られる記者は面白いし、楽しそうだな」と思って、今の仕事に就きました。
この仕事は、ありとあらゆる人に会え、好奇心を満たし、自分の視野を広げてくれることが喜びです。自分が取材したことが世に出て感謝されたり、誰かの人生の背中を押せたりしたときも嬉しいです。政治・経済の人とかかわるうえで、「社会を変える」ことに少しでもコミットできるところもやりがいです。

GRADUATE INTERVIEW

在学中の思い出 ①

自分がやりたいことを見つけるのは自分
放置しつつ見守ってくれる豊島岡

豊島岡女子学園はどのような学校でしたか。

真下さん
豊島岡は、やりたいことがあるのが当たり前で、やりたいことがない人は若干肩身が狭いような環境でした。私は両親が建築士だったので、建築学科に行きたいと表明していたのですが、それが本当にやりたいことだったかは別の話です(笑)。でも、何か言っておかないと格好悪いし、自分で決めたという体裁なのでそこに向かって頑張る必要がありました。でも、そうして周りから影響を受けながら、自分の道を築いていくのは非常に大切だったと今は思いますね。

豊島岡はいい意味で放置しつつ見守ってくれる学校で、「自分で考え、頑張りなさい」という環境だったことが印象的です。先生が生徒に対して手取り足取りではなく、生徒は任されているという感覚がありましたから、いい意味で「自分たちでなんとかしなきゃ」という気持ちが常にありました。
外山さん
面倒見は良かったと思います。それがわかるのが、毎週の小テストです。先生がよく付き合ってくれたと思いますし、80点を取らないと追試や補習もありました。つまり基礎をきちんと作ってくれていたんです。ベースを作ってくれて、その後の進路は自由に羽ばたいてくださいという姿勢が、当時の私にはとても気楽でした。先生に悩みを言うとヒントはくれるのですが、基本的には「自分で考えて」というのが豊島岡でした。

豊島岡では、先生から強要された覚えはないですね。私は高校2・3年と理系志望でないのに理系クラスにいましたが、「文系クラスに行きなさい」と強要されたこともなかったです。私はこの理系クラスが大好きでした。クラスの皆がそれぞれ「私は化学のこの勉強をしたい」、「医師になりたい」とやりたいことがあり、自分を持っている人が多くてとても刺激的だったんです。ただ、皆がすごいのはわかるのですが、自分は何をやりたいのかがわからない。大学受験が迫ってきて、「手に職がつけられる大学」を進路に決めましたが、そこでも先生から「〇〇大学にいきなさい」といった強要はされませんでした。
豊島岡女子学園

在学中の思い出 ②

豊島岡で育つ「かわい子ちゃん」
卒業後にわかるその真意

豊島岡の卒業生の共通の思い出はあるのでしょうか。

外山さん
私たちがいた頃は、二木先生が校長で、ことあるごとに「かわい子ちゃんになれ」とおっしゃっていたんです。ジェンダーに敏感な今の時代には難しい言葉ですが、「かわい子ちゃん」を因数分解していくと、媚びた可愛さではなくて、何かあった時に声をかけて助けてあげたい人、可愛気のある人という意味だったのかなと今は理解しています。

若くあろうが、年を追おうが、周りを温かい気持ちにさせ、チアアップする魅力的な人。頑張れる人。やはり愛されて信頼されることが大切で、周りはそういう人に手を差し伸べようとしますし、だからこそ仕事も任せてもらえます。在学中は「かわい子ちゃんになれ」と言われて、「かわいくなくてすみませんね!」と思っていたのですが(笑)、今はその意味がよくわかります。
真下さん
私も弁護士なので、ジェンダー的な発想からすると、「かわい子ちゃん」という単語自体は、独り歩きさせたくない言葉です。外山さんが「因数分解をしていくと」という表現を使いましたがそこが大切で、実際私たち卒業生からも、何かに媚びるような人より、若干ガツガツしている人が生まれているかもしれません(笑)。トライして、もし失敗してもまたトライするような卒業生が、たくさん生まれていると思います。

そもそも豊島岡の教育方針は「道義実践」「勤勉努力」「一能専念」。「良妻賢母になりましょう」といった教育は全くされていないし、毎朝の運針は精神統一や自分の軸を定めるためにやっているというのが全員の共通認識です。

だから、「かわい子ちゃん」だけを聞くと、「良妻賢母になりましょう」と言われているように聞こえるかもしれませんが、生徒の受け取り方は全くそうではありません。いわゆる女性らしさみたいなものをそのように定義していないのは、私たちの時代から同様で、最先端だったなと思います(笑)。
増澤さん
私は、竹鼻先生にメールをお送りしたことがあるのですが、公衆衛生学を学ぶために京都大学の大学院に進学したときに、考え方やフィーリングがとても合う同級生がいて、話をしていくと豊島岡の2つ上の先輩でした。やはり中高6年間、同じ学校に通っていると、その理念によって自分が学んでいこうとしている考え方が少し似るのかなと思いましたね(笑)。 その人も1つのことに真面目に取り組み、1つの知識を深めながらも、ただ真面目にやるだけではなくて、全てにおいて遊びがあります。とてもほがらかな方です。その先輩とも「かわい子ちゃんになれ!」の話になりました。そして、きっとそれは「いろんな人から愛される人、信頼される人になれ」ということだったのかなと。私は今、キャリアインタビューでもこの解釈を伝えていて、「ぜひ、そういう人を目指してください」と話しています。

学校生活が作ってくれた私たち

運針に小テストの毎日が育む
地味で嫌なこともできる信頼される人

真の意味での「かわい子ちゃん」になるために、豊島岡の毎日の学校生活がどのように影響していたと思いますか。皆さんのベースになっているものは何でしょうか。

外山さん
1つは日々の運針というタスクと、小テストだと思います。あれは地味で嫌なことでしたが、大人になるとやるべきことをしっかりやっている人は信頼されます。実はこれがとても大切なことです。やりたいことがいっぱいあっても、足元のやるべきことをやっていないと信頼されないし、可愛がられません。地味なことを地味に続けられる力が、愛される根底になり、私はそのベースを豊島岡で作ってもらえたと思っています。
真下さん
5分前行動も大きいですね。「5分前には用意をしているようにしましょう」というのが、私たちが6年間で受けた教育です。「ゆとりを持って何かに取り組みましょう」、「何かあっても対応できるようにあらかじめ時間を設定しておきましょう」ということを教えてもらって、それが身について習慣になると、当たり前になってできていないと少し気持ち悪くなります。それは仕事にも生きてくるので、習慣になって良かったと思います。

今、卒業生インタビュー時に裁判傍聴のための生徒引率をしていて、「裁判所前に何時に集合」と伝えると、やはり5分前には生徒がいるんですね(笑)。それを見て、「伝統だな」という気持ちになって安心しますし、いい習慣だなと思います。

毎朝の運針
増澤さん
私も、豊島岡で毎日運針をしていたことが精神の鍛練になり、毎日やっていくことで継続力と集中力が養われていたのだろうと思います。何回も受けた小テストと毎日の運針によって、集中力を最大限に発揮したい時に発揮できるように自分をコントロールできるトレーニングをしてもらっていました。

私は人生において、3つの分野の大学院と国家試験を受験しているのですが、そこで緊張して実力が発揮できなかったことは一度もありません。それは、豊島岡の学生生活の中で鍛錬されてきたことが、知らないうちに身についていたのではないかと思っています。 また、仕事では、期限を守ることや真摯に取り組む姿勢を評価してもらっていると感じることがあります。そういう私を作ってもらったのも、豊島岡の教育ではないかと思っています。

そして助産師の場合、赤ちゃんが亡くなる場面に遭遇することもありますから、精神面の強さも求められます。その時にプロとして、自分の気持ちは抑えつつ、相手に寄り添う強さも、豊島岡で知らないうちに養われたように思います。小テストでは、基礎固めができつつ、精神面も鍛えられていました。やっていた時はとても辛かったのですが、社会人になってから振り返るとよく見えてきます。
加藤さん
私は在校当時、ダンス部でした。自分で言うのは恥ずかしいのですが、ダンス部は当時から活発で華やか(笑)。今は大会に出ているようですが、私たちのときは大会がなかったので、文化祭と3年生を送る会が主な発表の場でした。文化祭直前になると朝練して、3時間目ぐらいにお弁当を食べ、昼休みは昼練。5分の休みも鏡の前に行って踊るような生活でしたね。

ダンス部員は部活も勉強もやるべきこともしっかりやる人が多く、周りの皆が当たり前にやっているから、自分も頑張ろうという気持ちを持てました。それが苦しかったり嫌だったりしたことはないですね。もめ事もありましたが、大人になったらしこりもなくなって、ダンス部の子たちとは今でも仲良く会えています。中高時代に勉強以外に夢中になれるものがあったことはとても有意義でした。

今の私の仕事もチームワークが必要です。医療現場も自分の意見だけではなくて、いろんな立場の先輩後輩がいれば、違う職業の方もいて、周りの意見を聞いてまとめて最も良い案を出す必要がありますから、ダンス部での経験が今の仕事に生かせていると思います。

社会で活躍するとは?

社会還元よりもまずは自分を尊重
自分の好きなこと、楽しいことを大切に

実際に「社会で活躍する」皆さんにとって、社会で活躍すること、働くこととはどういうことでしょうか。

真下さん
いじめのことに取り組んでいるとよくわかるのが、人は自分が尊重されていないのに誰かを尊重し続けることはできないんです。無理にそれをやっていくと、心身を壊すか、「私ばかりなぜこんなに我慢しなきゃいけないわけ?」と誰かを攻撃し始めるループが起きてしまうので、先に自分を尊重してから相手を尊重する必要があるんですね。

そう考えていくと、何が自分を尊重することに繋がるのかを、常に考えていかなければいけません。例えば受験生には受験生の尊重があり、結婚したら結婚した状況での尊重があります。その時々にどうすれば自分を尊重できるかを振り返るのが大切で、結果としてそれが社会にも影響を与えたり、貢献につながったりしているのかなと思います。

仕事もあくまでその一環です。ずっと自己犠牲をしていくのは絶対に辛くなります。結局自分を削ることは、そのフォローをしてくれる誰かを巻き込みますから、自分で自分を整えることは非常に重要だし、そういうスキルのための基礎をこの学校で教わったように感じます。
外山さん
まさに自分を尊重が大切です。社会に出て思うのは、自分が心身共にある程度健康で、好きなことがあり、楽しかったらそれでいいということ。小さなことかもしれませんが、それで勝ちです。自分が満たされていないのに、「もっと他の人に追いつかないと」「社会に貢献しないと」と焦っても、もがき苦しむだけです。

今、いろんな指標や情報があり、特にネットの世界は誹謗中傷もある中で、自分をちゃんと理解して大切にできるのかは、とても大切な軸だと思います。どうやってうまく見せようかということばかり考えていると、最終的に自分がついていけなくなります。大切にしたいのは自分で考える力。「自分はこれが楽しいんだ」、「自分はこれがやりたいんだ」と自分で選び行動していけば、それが他の人に伝播していきます。最終的に誰かのためにならなくても、リーダーシップをとって社会に還元しなくても、それでいいのです。
加藤さん
私は今、子供が生まれて、働き方を変えなくてはいけない時期です。子供が成長するにつれて、さらに働く時間が制限されるようになりますが、私は社会にとって子供を育てることも大切な仕事だと思っているので、自分ができる範囲で精一杯育てたいと思っています。

同級生には子供が生まれたら医師を辞めてしまう人もいますが、私は細々とでも続けていきたいし、医学は新しい知識が日々入ってくるので続けていかないと再開できないだろうと思います。100パーセントは無理ですが、自分のできる範囲で続けて、子供が大きくなったらもっと地域に根差した仕事をしたい。小さい頃からの夢もあるので、そうなれるように技術や知識を落とさず、自分なりに働きたいです。
増澤さん
加藤さんのように向上心のある人が多いというのが、豊島岡の1つの特徴です。社会で何かをするとなった時に、与えられた1つのことに対して思考を巡らせながら仕事をする人が、豊島岡の卒業生には多いと思います。考えることを止めずに取り組んでいく。少しでもより良くやっていきたいと工夫をする。そうやって仕事や家庭のことをしている人が多いのではないかと思います。

私も自分が楽しく生きていられることが大切ですし、自分と他者との関係性を大切にしながら、皆が幸せと感じられるような相互作用が何かしらあるのが、社会だったり、家庭だったりすると思うんです。その構成員の1人として自分がいて、自分はどんな役割が果たせるのかを考える。それぞれのライフステージの中で役割を変えていくのはありだと思います。

私は今、転職して5か所目です。看護職という大枠でいうと似たような職業かもしれませんが、看護師ではなく助産師をしたり、大学の教員だったりと、仕事内容が全く違います。その時々によって、自分の考え方が少しずつ変わっていき、職業を変えています。初めから固執して、「自分はこれをやりたい」というわけではありません。やりたいことがあるのはいいことだと思いますし、やりたいことがないのが悪いことではありませんから、その時々の状況で自分が何に興味があるのか、何をしている自分が一番楽しいのかを考えながら、今の環境の中で自分がどう過ごしていくか、自分は何ができるのかを考えていくといいと思います。

後輩へのメッセージ

失敗を恐れず、突き進み
フロントランナーになれ!

では、最後に在校生、受験生にメッセージをお願いします。

真下さん
ぜひお伝えしたいのが、私が母校の後輩に期待していることです。私たちの世代は提示されたものに対して期待を返す、期待を超えたものを提出することにはかなり長けた世代だと思いますし、それで良かったところもあるのですが、これからの豊島岡生には求められるものに答えるのではなくて、自分から何かを変えていってほしい。自己実現のために環境を整えるにはこうしなければいけないと、主体的に動いてほしいのです。

例えば今、女性が置かれている労働環境に対してアプローチするなら、こういう仕組みを作ったら、もっといろんな人が貢献できるし、働きやすいのではないかと、仕組みから変えていけるようなマインドを持った子たちになって卒業していってほしい。もちろん私たちもそういった発信を可能な限りしていきたいと思っています。でも今の豊島岡生の能力としては、そういうところがもっと育っていると思うので、いかんなくその力を社会でも発揮してほしいです。

既存の枠組みに入っていくのは、それがいかにハードルが高いものでも簡単で、そこで努力して何かをするのも非常に大切なことだし、私もそういうところにいると思うのですが、そのフレームを壊していくところまでいってくれたらいいなと思います。おそらく彼女たちはそれができるし、そういう思考になっている人たちもたくさんいるはずです。
外山さん
全体に言えることですが、「豊島岡生で有名な人は誰?」という話になると、突き抜けた人がいません。例えば良き家庭人だったり、良きビジネスマンであったり、それぞれの持ち場で頑張っているのですが、いい意味での開拓者、フロントランナーが少ないんです。でも、今の豊島岡生は違う次元にいて、これからどんどんそういう人が出てくると思いますから、他と少し違っても自分が好きなことは突き詰めてほしいですね。今の世代はいい子が多く、真面目なんだと思いますが、いい意味でルールを壊す開拓者が出てきてほしいです。

今後日本は人口も減ります。最終的にこの国が生き残り、個人が楽しく生きていくためには、やはりそれぞれのやりたいことを突き詰めていかないと厳しいと思います。個人が輝くから全体としてのパワーが出てきます。そして、そこで果たすべき義務は果たす。そして、突き詰めていく過程で、勉強はできた方が損ではないことも伝えたいですね。逆もしかりで、勉強だけできても仕方がない。勉強ができていると選択肢も視野も広がります。でも、それが十分条件ではないことを知って、フロントランナーになってくれたらと思います。
加藤さん
今の豊島岡は私たちの頃と比べ物にならないくらい入試が難しくなっていると思いますが、この学校に入ることはゴールではなくて通過点です。頑張ればチャレンジする機会は他にもいっぱいあります。最終的に自分のやりたいことを実現するのは社会に出てからなので、近いゴールばかりを目指さないで、その先をもう少しだけ広い視野で見てほしいですね。この学校に入っても、入れなくても、頑張るのは自分。場所が変わっても、環境が変わっても、自分の信念さえあれば、自分のやりたいことは実現できると思います。 私たちの時代は大学受験で浪人をする人がとても少なかったのですが、私は浪人をしています。浪人も1つの挫折だと思いますが、私は自分の行きたい大学があって、そこは絶対に譲れなかったので、浪人に迷いはありませんでした。自分の夢や自分のやりたいことがあるのであれば、周りが現役で大学に行くからではなくて、諦めずに夢に向かって、自分の信念を貫いてほしいと思います。
増澤さん
私は、取り返しのつく失敗はした方がいいと思っています。「取り返しのつく」という言葉をつけたのは、医療の現場では失敗してはならない場面がたくさんあるからです。ですが、取り返しのつく失敗をしていない人ほど、その人が何かをするときの選択肢が狭まってしまいます。失敗を乗り越えたからこそ自分の知識となっているところと、自分の精神面での成長になっているところがあると思うので、失敗する経験を恐れずにチャレンジしてほしいです。

豊島岡では自分が失敗した時に寄り添ってくれる大切な仲間づくりができました。卒業してから数回しか会わなかったとしても、当時のように話ができる仲間。それぞれ成長しているけれど、お互いに素直に話ができるような仲間がこの学校では得られます。これは豊島岡の強みです。

さらにもう1つ、疑問を持ってほしいです。ルーティンで取り組むのではなくて、「自分はなぜこれをやっているのだろう?」「これはどうなのだろう?」と疑問を持ち、自分からその疑問を解決するためにどう動けばいいのかと思考を回すこと。そういう人が豊島岡では育つと思いますし、増えていってほしいと思っています。

Teacher Message

卒業生が実現する
豊島岡の当たり前

校長 竹鼻志乃先生

今回は、卒業生にご協力いただきましたが、卒業生に同期で集まってもらうと、こんなに職業にバラエティーがあるということをまず伝えたいと思います。職業で人選したわけではなく、同期で集まってもらったら、弁護士も医師もテレビプロデューサーもそして大学教員もいる。それが豊島岡の当たり前です(笑)。

今日の話に出てきた「かわい子ちゃんになれ」という二木友吉先生(第5代校長)の言葉は、豊島岡の記憶として卒業生の話に頻繁に出てきます。「社会に出て仕事をするようになってから、かわい子ちゃんの意味がわかった」、「ありがたい言葉だったと思う」と聞いていましたし、私も同様に思っていますので、新入生に学校史の授業を行う際、歴代の校長先生の指導について話した最後に「勉強だけできてもダメだ。かわい子ちゃんになりなさい」という友吉先生の言葉を伝えています。これは女の子だけにではなくて、男の人にも大人の女性にも言えること。「誰からも信頼され可愛がられる人になりなさい」というメッセージです。今日も卒業生の話を聞いて、これからも伝えていく必要があると実感しました。

また、本校は校舎の建て替えに16年かかっていて、友吉先生は工事過程を例にして、基礎の大切さについてよく話されていました。「建物を建てる時には基礎工事に長い時間をかける。でも基礎がしっかりしていないと高い建物は建てられない。基礎工事はとても地道な作業で建物が建ってしまうと地下の部分は見えなくなる。でも、見えない部分がしっかりしているからこそ高い建物が立つ。基礎が大切なんだ」と。これは卒業生たちが話していた基礎力をつける小テストの大切さについて話されていたんだと思います。この友吉先生の話も伝え続けたいと改めて感じました。

働くことに関する話も印象的でした。彼女たちの時代はまだ周りが必ずしも大学に行って、働き続ける時代ではなかったと思いますが、豊島岡の卒業生である彼女たちにとっては働くのが当たり前。豊島岡生は「勉強するのは将来の自分のため」という思いをずっと持っています。私は生徒に話すとき、「社会に貢献しなさい」とは言いません。今日の話にもあったように、自分らしく自分がやりたいように「活躍」してほしい。そして活躍とは必ずしもリーダーになって引っ張るわけではないと、生徒たちに伝えています。

また、真下さんからの「求められるものに答えるのではなく、自分から何かを変えていってほしい」という後輩へのメッセージは、私が生徒に望むことを聞かれたときにいつも話すことと同じで驚きました。今の生徒たちは決められたことは想像以上にできるし、やってくれます。でも、壁を突き破るような発想力の豊かさやそれで何かを動かすような生徒が出てきてくれると嬉しいと、私も思っています。

今日の卒業生の話を聞いて、今の生徒たちも先輩のようにいろんな方向で活躍してほしいと期待感を持てました。今後も受け継がれてきたことを伝えていくのが楽しみです。