清泉女学院中学高等学校 清泉の倫理と私
清泉女学院中学高等学校で、創立以来行われている「倫理」の授業。キリスト教の学びを軸にしながらも宗教や歴史を学ぶに留まらず、生徒が自分を見つめ、探究し、どのように生きるかを考える6年間の必修科目で、人として成長するためのライフオリエンテーションプログラムと共に、「誰かのために生きる」という清泉生としてのベースを作ります。在校生にも人気が高く、卒業後も心の支えになるという倫理の授業。どのような授業であり、生徒はなぜ魅了されるのでしょうか。在校生、卒業生、担当教諭を取材しました。

STUDENTS INTERVIEW在校生インタビュー清泉の倫理ってなんですか?

清泉の倫理と私

倫理の授業は、
自分がどういう考えを持っているか、
どういう人間かに気づけます。 Sさん

決まったやり方はなく
自分で答えを探っていく倫理が、
私にはおもしろいし楽しいです。 Tさん

  • Sさん[高校2年]清泉小学校より清泉女学院中高に進学。ダンス部部長。
  • Tさん[高校2年]中学受験で清泉女学院中高に入学。演劇部に所属。

日常生活の中に
倫理の授業内容が浸透している

今回は清泉女学院が大切にする倫理の授業についてお話をうかがいます。倫理はどのような授業ですか。

Sさん
倫理は6年間必修なので、清泉の生徒にとっては倫理の授業があるのは当たり前になっています。授業では、普段は意識しないようなことや考えたことがないようなことに気づかされますが、難しいわけではなく、身近なものとして捉えられ、自然に身に付いている気がします。聖書には自分が思いもよらないようなことが書かれていて、その内容を理解すると自分の視野も広がるように思います。清泉には「清泉が大切にする10の価値」があり、「無償の愛」「隣人」といった言葉にも耳なじみがあるので、聖書の言葉や先生のお話にも自然に向き合えます。

Tさん
倫理は、聖書の一節や先生が見せてくれる映像によって、人の心の根底にはどのようなものがあるかに気づく授業だなと思っています。私は人の心や想いに興味があり、探究や研究が好きなので、倫理の授業は興味深いです。他の授業より楽しめています(笑)。

倫理の授業を通して、2人が気づけたことは何でしょう?

Sさん
日本の宗教や伝統以外にも他国の宗教に関連した歴史を学ぶので、日本にはない考えや日本にしかない考えがあること、自分たちとは全く違う考えを持っている海外の人の存在にも気づけました。日本は気遣いの国だと思いますが、海外のオープンな考え方や開放的な視野を自分にも取り入れたいです。

Sさんはダンス部の部長として、部活で活かせていることもありますか。

Sさん
部活では、責任感を持つことはもちろん、見返りを求めず人のために動きたいと思っています。「私がしているから、あなたもしてよ」ではなくて、「私がしたいからします」と、自分の意思で自分から動けるように少しずつなったかなと思います。

倫理の授業で気づいたことが、行動にも出てくる?

Sさん
聖書では硬めに書かれていますが、それを日常生活に置き換えると、こういう行動になるのかなと思います。常に意識的にやっているわけではありませんが、倫理の授業を通して普段から無意識に考え、行動する習慣がついたように思います。今回、取材を受けるにあたって改めて考えてみて、自分が思っているよりも日常生活の中に倫理の授業が浸透していると気づきました(笑)。

Tさんの気づきは何でしょうか。

Tさん
倫理では他国の宗教を学ぶので、海外の文化にも興味を持つきっかけになりました。それに倫理の時間に人の心を知るという普段の生活ではしない経験をしたことで、以前に比べると周りの人に関心が持てるようになったかもしれません。小学生の時は積極的に動けなかったのですが、最近は帰り道で困っている人を手伝ったり、声を掛けたりすることが多くなったように感じます。後から「これが無償の愛かな、違うかな」と思っています(笑)。

高2倫理の授業

考えないようなことを考え、
周りの人の意見も聞くことで、
思いもよらないことを発見

倫理の授業で特に印象に残っている授業内容は?

Sさん
年度や担当の先生によって授業内容は異なるのですが、今年は映像を見ることやグループワークが多いです。最近は教室内でどうやって差別が生まれるのかというドキュメンタリー映像を見ました。黒人差別は昔からありましたが、ひとつの教室内でも簡単に差別が生まれると知り、本当に驚きました。
倫理の授業では、映像がよく使われます。ドキュメンタリー映像だけでなく、ジブリ映画を見て、先生が提示したテーマで考察することもあります。それを繰り返すことで、日常生活の中でも様々なことに対して深く考え、もっと掘り下げられるのかなと思います。

ジブリ映画を見てどういった考察を?

Sさん
例えば「もののけ姫」を見て、日本ならではの宗教シーンや昔の風習や迷信について先生が話してくださるので、1人で見たら考えないようなことを考え、周りの人の意見も聞くことで、思いもよらないことが発見できます。

Tさんが印象に残る授業は?

Tさん
私は日本が好きで、日本の宗教や神話に関連した内容が頭に残っています。古事記の神話は特に面白かったですね。私は物語を作るのも好きなので、日本に限らず外国の文化や宗教は、物語の素材になってくれます。その中で気づいたことは、宗教や文化はその国の人たちの基本的な思考につながっているということ。日本と海外では自然に対するイメージも違うようで、ヨーロッパは自然を克服するイメージですが、日本は自然と共存するイメージ。そういう考え方が、日本人の性格のベースになっていて残っているんだと気づきました。
私は課外活動の「宗教研究」にも参加しました。「宗教研究」は、積極的に聖書を読み、聖書の内容がどういう解釈になるのかをそれぞれが考え発表します。紙にクレヨンで絵を描いて自分の今の状態や心情を知ることもあります。倫理の授業に似通った部分があり、自分の興味があることを学べる時間で面白かったです。

倫理は
ゆっくり考え、自らつかみ取っていくための時間

倫理の授業は、自身にとってどのような時間になっていますか。

Sさん
私は人のために何かすることが好きなので、聖書のイエス・キリストの考えには共感できるところがたくさんあります。倫理の授業では、自分がどういう考えを持っているか、どういう人間なのかに気づけるように思います。皆で話し合う機会が多く、周りの意見も聞けて視野も広がりますから、授業の前後で自分の考えが変わっていきます。
倫理だけではなく、清泉女学院で学校生活を送っていく中で、過去の自分では考えられないようなことができているのではないかなと思います。私の中では部活の存在が大きいのですが、自分で考えて行動して指示するという部活内での責任者としての役割に取り組めるようになったのは、倫理の授業や普段の学校生活でいろいろ刺激を受けてきたおかげです。行動するときに常に意識しているわけではありませんが、自分の変化が嬉しいです。

Tさん
私にとって倫理は興味深いことが学べる授業で、映像などいろいろな媒体を使って人間の本質的なものを紐解いていく時間です。自分が人間の考え方や物事の根底にあるものを探るのが好きだということも、宗教や神話に興味があることも、倫理の授業で自分を見つめて認識できました。周りをいろいろな視点で見るようにもなってきて、人がどう思っているかを考え、所属する演劇部でも役の感情について深く考えるようになりました。

2人は倫理の授業は好きですか。

Sさん
嫌いではないです(笑)。倫理は、授業形態が他の科目と違って、机に向かって知識を叩きこむというより、周りの人と意見を交わし合い、自分自身で考える授業です。答えが決まっていないし、すべてにおいて「間違い」はなく、誰の意見も平等に良い部分があり、その分たくさんの答えがあります。それを自分の中に取り込めるのは楽しく、おもしろいです。自分の頭の中をしっかりと整理することもできます。倫理の授業は自分も動けることが楽しく、日常に活かしやすいところも他の授業にはない良さだと思います。部活が忙しくて参加できていませんが、「AI倫理会議」にも興味があるので、一度参加してみたいと思っています。

Tさん
倫理は私にとって必要な授業です。国語・数学・理科・社会といった科目は、とても頑張らなくてはならず、後ろから追いかけられているようなプレッシャーがあります。でも倫理にはそれがなく、ゆっくり考え、自らつかみ取っていくための時間です。決まったやり方はなく自分で答えを探っていく倫理が、私にはおもしろいし楽しいです。

倫理の授業は、進路選択に影響がありそうですか。

Sさん
私は文学部の日本文学を志望しているので、直接関係しているわけではないかもしれませんが、倫理で扱う日本の文化を知って、さらに志望が高まりました。大学卒業後に関しては、人のためになるような仕事がしたいと思っています。周りを助け、人に感謝されるような自分もやりがいを持てる仕事ができたらと思います。

Tさん
私は歴史好きということもあって、史学や文学を専攻しようと考えていましたが、最近は演劇学科に興味を持ち始めています。演劇の役にもそれぞれ考えや感情があって、その演劇がなぜこういう脚本になるのかを時代背景から考えると聞いて、志望が傾いています。将来は自分の演技で見ている人の気持ちを揺さぶり、感動を与えたいと思っています。

GRADUATE INTERVIEW卒業生インタビュー清泉の倫理ってなんですか?

清泉の倫理と私

倫理の授業が大好きでした。
「自分の価値って何だろう?」と
思ったときにこの授業を振り返れば
きっと救われます。 細川さん

清泉で学んだ倫理の価値観や考え方を
信念として持ち続けたいと思います。 磯辺さん

  • 細川さん[神学部1年]清泉小学校より清泉女学院中高へ進学。部活はソフトボール部。倫理の授業を敬愛。2022年3月清泉女学院卒業。
  • 磯辺さん[法学部1年]中学受験で清泉女学院中高へ入学。部活は音楽部。課外活動の「宗教研究」にも参加。2022年3月清泉女学院卒業。

清泉の倫理は
キリスト教を知るための授業ではない

在校時の倫理の授業を振り返ってみて、印象に残っている授業を教えてください。

磯辺さん
私が印象に残っているのは、高2での「犯罪者は幸せになっていいのか」という授業です。私は法学部に進学したので、進路に直結とまではいきませんが、つながる部分があったと思っています。犯罪が起きない世界は現実世界で想像しにくく犯罪者は絶対に現れてくると思いますが、その犯罪者が幸福になっていいのかを高校2年生で考えた機会は、とても印象に残っています。
当時はコロナで学校に来られない時期で、オンライン授業の課題形式で出されたテーマでした。皆でディスカッションはできなかったのですが、私の意見としては「幸福になってもいいのではないか」と考えました。法律の観点から言えば、犯罪者は罪を犯していて裁かれるべきですが、倫理的観点から言えば人であることに変わりはなく、守られる権利を有しているので、たとえ罪を犯したとしても虐げられることがあってはならず、幸福になる権利を持っているのではないかと思ったからです。

その考えに自分が至ったのは、それまでの倫理の授業による影響があったと思いますか。

磯辺さん
清泉の倫理は、キリスト教を知るための授業ではありません。聖書の影響を受けていますが、授業でいろいろなトピックを扱う中で、一人一人の価値観やパーソナリティを大事にしようという視点を教えてもらいます。1人の人が罪を犯したとしてもその人を大切にしようとする考え方は、倫理の授業の中で高校2年生までに得られていたと思います。

細川さんが印象に残る授業は何でしょうか。

細川さん
私は、高3の命の授業での「命とは何か」をテーマにCMを作ったことが印象に残っています。それまでに生命倫理、中絶や障害といったいろいろな知識を自分の中に入れてから、命の大切さをCMにして表現しました。
私たちの班は命を線香花火に見立て、火がついている時は輝いているけれども、突然ぷつんと消えることもあるし、シュンと静かに消えることもある。でも、それは決して誰かが消していいものではなく、人為的に消してはいけないものなのではないか、という考えを込めてCMを作りました。
「命って何だろう?」と考えても言葉にするのは難しいですが、それをCMという形にして表現するのはとてもいい経験だったと思います。各班で考え方や表現が違いますが、伝えたいのは命の大切さで、人それぞれいろいろな考え方があることも知りました。

花火というのがとてもわかりやすい表現だと思いますが、倫理で学んできたことを活かせた実感はありましたか。

細川さん
ありました。中学生ではキリスト教について学び、そこで得たことを踏まえて高1で他の宗教や哲学について学んで、またいろいろな価値観を知ります。その上で、高3で命や大きな問題を扱うのは、やはりそれまでの5年間がなければ成り立たないと思います。自分の土壌を培って、新たな知識を持ってから最後に大きなテーマを考えるのはとてもいい経験でした。

倫理では、中学生から自己受容、他者受容、世界に目を向けるという流れで6年間学んでいくそうですね。

磯辺さん
入学した直後から、「清泉女学院にいる6年間で自分のミッションを見つけなさい」と折に触れて言われます。最初は「ミッションって何?」という状態ですが、学校生活の中で自分にしかできないことを探す、つまり自分を受け入れることを学んでいきます。そうして高3までに、それぞれが「自分って何だろう?」と考えるきっかけを与えてくれるのが倫理の授業です。先生方が蒔いてくれた種に気づいて育てていく時間です。

細川さん
中学の時は私も反抗期で、先生に逆らうこともありました(笑)。でも、倫理の授業では「ありのままでいいんだよ」「そのままでいいんだよ」というメッセージを聖書の話を元に取り上げてくださいます。正直なところ、「何を言っているんだろう?」と思ってしまう時期や、なかなか自分のことを受け入れられないこともありましたが、周りの人は私のことをきちんと見てくれているし、愛してくれているんだと理解していきました。そして、自分のことを愛せていないと他の人を愛することはできず、自分のことや周りのことをきちんと見ることができていないと、“グローバル化“と言っても世界に広がりを持つことも難しい。その意味では、中学生のうちに自分を知り、自分の周りの環境を知れたことは良かったと思います。

倫理を学ぶなかでの具体的な気づきを覚えていますか。

細川さん
キリスト教に、黄金律と呼ばれる「自分が人にしてもらいたいと思うことを自分も他人にしなさい」という教えがあります。小学生の時は「自分がされて嫌なことは他人にしてはダメだよ」と教えられ、私も「そうだな」と思っていました。でも、黄金律の教えを知って、この考えの方がポジティブな人間関係が構築できるなと気づいたんです。「人にされると嫌なことをしない」というのは、ネガティブに感じられるし最低限のライン。でも、「人にしてほしいことを人にする」のは、積極的でポジティブです。人として当たり前のことですが、「ありがとう」と言われたら嬉しいから、自分も「ありがとう」と言う。そういった自分から積極的に人と関わって、相手に喜んでもらうために動くという考え方が私は好きだと思いました。
授業ではこういった話を、先生たちが雑談を交えてわかりやすく話してくださり、それが実は倫理の話につながっていたり、日常の中で結びつく瞬間があったりします。それは倫理の理解しやすさであり、おもしろさでした。

楽しいグループワーク
他の人の考えを知って自分の視野も広がる

在校時、倫理という時間は自分にとってどのような時間でしたか。

細川さん
倫理の授業が大好きでした。入口は、中学の時に教えてくださった吉岡先生の人柄の良さです(笑)。「この先生の授業は真面目に受けよう」と思いました。倫理の授業もテストがあり、成績もつけられるのですが、大学受験のための勉強ではなくて人生に活きる授業であり、私が生きていく上で重要な授業で、知っておかなければいけないことだと思っていました。人生が豊かになり、キリスト教の学校に入ったからこそ学べる価値のある時間だったと思います。今も6年間のプリントをすべて持っていますが、将来「自分の価値って何だろう?」と思った時に見返せば、きっと救われることがあるだろうと思います。

磯辺さん
次が倫理の授業というだけで「おっ!次は倫理だ!」と明るい気持ちになれました。考え方の多様性が学べ、いい意味でとてもリラックスできる時間だったと思います。先生方も雑談を交えて倫理を楽しく学べる雰囲気や授業構成を工夫してくださり、そこに清泉の倫理の特徴があったのではないかと思っています。特に高3で学んだ生命倫理など現代の問題に直結する内容は、勉強ですが勉強ではなく、考え方を学んだ授業でした。一方的に授業を受けるのではなく、私自身がなるべくいろんな視点を吸収したいと思えました。在学中はなかなか気づけないところもあるのですが、卒業してからその必要性はきっとわかると思います。

倫理の授業の特徴としてグループワークの多さもあげられるかと思います。絶対的な答えがないことを探究していくおもしろさはありましたか。

細川さん
倫理の授業は、板書するだけの授業ではなくて、学んだことを活かして、他の人と話して、それを頭に入れて、さらに表現することで身についていきます。「この意見が絶対に正しい」はないので、皆で意見を出し合い、それぞれのいいところを組み合わせて、もっといい意見を作るんです。1人が意見を出して、それに賛成するだけではおもしろくないし、正解が決まっていないから皆が積極的に意見を出さないと始まらないのです。楽しいグループワークが多く、でもしっかり学ぶこともでき、他の人の考えを知って自分の視野も広がりました。生徒が倫理を好きな理由は、そういうグループワークの過程や楽しさにもあると思います。

磯辺さん
清泉では、たとえ対立する意見だとしても、周りの人が自分の意見の芯にあるものは認めてくれるとわかっているから意見が言えます。5人中1人だけが全く違う意見でも、周囲に「なぜこういう意見になったのかな」と考える姿勢があるんです。特に高校生になると、中学生で自分も他者も受け入れる姿勢を身につけているので、グループのディスカッションでも1人が孤立することがありません。いろいろな人の意見を聞いて、その人のいいところを見つけ出せる。だからグループのディスカッションが楽しかったんだと思います。

高3倫理の授業の様子。ピカソの『ゲルニカ』を見てから読み取れることを共有している。

絶対に忘れたくない倫理の授業
これから先も私の人生の中で重要なもの

進路選択に倫理の影響はありましたか。

磯辺さん
私が学ぶ法学は、実践の場面が多いんです。机上で憲法や刑法を学んで「こういうことをしたら犯罪になる、罰せられる」と学んだとしても、事例に当てはめていかないとなかなか役割を持ちません。法学を学んでいるだけでは意味がないので、その点では倫理と似ているのではないかと思っています。

細川さん
私は小学校から12年間ミッションスクールで過ごしてきました。自分ではあまり気づいていませんが、頭や心の奥底にはキリスト教の考えが根付いています。それを客観的に確かなものにしたいと思って、神学部に進みました。倫理の吉岡先生が神学部出身で、私も同じ学びをしてみたいと考えたことも選択理由の一つです。

人として必要なことを学ぶ倫理の授業を6年間受けてきた2人ですが、今後の人生においてどう活かしたいと思いますか。

磯辺さん
清泉では倫理の授業が必修である人たちと過ごしてきたので、話をしていても共感できる部分が多いですが、社会に出たら自分の意見と合致することは少ないと思います。例えば、意見が対立したり、意見を合わせたりしなければいけない時もあると思いますから、そのときは「なぜあの人はこういう考えに至ったのかな?」という清泉で学んだ倫理の価値観や考え方を思い出したいです。”人を見つめる“ことを忘れずに、信念として持っていたいと思います。

細川さん
変な話になってしまいますが、私は子どもができたら清泉のようなカトリックの学校に入れたいんです。それくらい自分が12年間カトリックの学校で育ってきて良かったと思いますし、この倫理の授業で学んだキリスト教の考え方やその他の宗教や哲学、それを踏まえていろいろな社会問題について考えた経験を忘れたくないと思っています。清泉で過ごしてきて絶対に忘れたくない授業が倫理であり、これから先も私の人生の中で重要なもの。その考え方や価値観を私の中で留めておくだけではなく、他の人にも伝えたいと思っています。

卒業生2人の6年間の倫理の授業で配られたプリントは、今後も人生の宝物。
中学では聖書と先生によるオリジナルのプリントを中心に授業が行われ、高校の「現代倫理」では教科書を使用。

TEACHER INTERVIEW先生インタビュー清泉の倫理ってなんですか?

清泉の倫理と私

自分がどういう人になって
どのように生きていきたいかを考える
清泉の倫理の時間

  • 吉岡 誠先生[倫理科主任教諭] 小野 浩司先生[倫理科教諭]

清泉の倫理の3つの柱「自分・他者・世界」

倫理科の授業方針、6年間の展開を教えてください。

小野先生
倫理では、「自分・他者・世界」という3つの柱があるということを伝えています。中学生は自己と向き合う、自己との出会い、自己肯定。合わせて他者受容、他者肯定を知ります。高校生になると世界に目を向け、高3では生命倫理や戦争、環境問題、女性の生き方と差別、多文化共生といったテーマに入っていきます。ただ、高校で中学での自己受容を学ばないわけではありません。高2の授業の最後には詩を書きますが、それは自己表現で自己受容の面があります。「自分・他者・世界」はどの学年でも意識しています。

「自分・他者・世界」が清泉の倫理の柱になっている中で、中学で自己肯定、他者受容を学び、高校で最終的に世界へ向かうという流れは、生徒たちにとって理解しやすい形なのでしょうか。

小野先生
中学生は、自分と合わない人や苦手な人と接するにはどうしたらいいかに悩みがちなので、まず自分と向き合ってみよう、自分のいいところに気づいてみよう、他の人のいいところに気づいてみようとすることで、生徒たちが欲する内容になっていると思っています。さまざまな視点があることをこちらから提供しないと、生徒はなかなか気づかないのです。

吉岡先生
キリスト教というと「隣人愛」という言葉が代表的ですが、聖書には「隣人を自分のように愛す」とあり、そのためには自分を愛すること、もしくは自己肯定や自己受容が必要で、それが後々になってより深い意味での隣人愛につながっていきますから、まずは自分と向き合うことから始めます。

映画や漫画も使用
視点に気づくための工夫ある授業

倫理の時間が、生徒たちにとってどういう時間になることを目指されていますか。

小野先生
生徒には、倫理や宗教、聖書はつまらないといったイメージがあります。自分には関係ない、難しい、眠たい授業といったものですね。しかし、清泉では、そういう考えに陥らない授業にしたいと思っていますから、単に聖書を読ませるだけの授業にはしていません。
先日の中3の授業では、物語である聖書を読む前に物語を読むコツを知ってもらうために、白雪姫のディズニー版とグリム版を読み比べました。そうやって映画も漫画も授業で使います。グループワークも多く、ゲーム的なことも行いますので、最終的には生徒が「倫理だ!頑張って受けよう」という授業になることを目指しています。6年間で生徒の中でひとつでも気づきがあればいいと思っています。

在校生や卒業生のお話を聞いていても、一般的にイメージする倫理や宗教の授業とは異なりますね。

小野先生
私は、授業で生徒に寝られるのが嫌なのです。ですから、授業が生徒にとって興味深いものになるように、いろいろな素材を引っ張ってきます。それは生徒が一人で映画を見たり、漫画を読んだりする時にも「こういう視点があったらどうだろうか」と考えるきっかけになるはずです。
例えば、聖書の「隣人を自分のように愛しなさい」も、一般的には「隣人を愛しなさい」となっていますが、実は「自分のように」が入っていますから、生徒には「自分のように愛する」という視点に気づかせます。そもそも自分のことが好きなのだろうか、自分を愛するにはどうすればいいのだろうかと考えたうえで、映画『天使にラブソングを』を見せると、「これが自分を愛することかもしれない。隣人を自分のように愛することかもしれない」と理解していきます。

一方的に知識として与えるのではなく、気づき、考え、理解するきっかけを与えるわけですね。

小野先生
ここ数年、私の授業での基本は「立ち止まって考えてみようよ」ということです。例えば数年前から始めたAI倫理会議のコンセプトはAIを単に良いもの、怖いものに分けるのではなく、一度立ち止まって考えてみようとしています。高3の生命倫理でも、出生前診断は人の領域なのか神の領域なのかという議論について、自分や他の人はどう思うかを立ち止まって考えてみます。

吉岡先生
私は中学生には、オーソドックスな聖書的なメッセージや自身の振り返りを行わせます。また、私が意識しているのは、自分とはまた別に存在している世界ではなく、自分につながっている世界にとても大きな意味があるということ。ウクライナの戦争も自分と離れた海外で起こっているのではなく、自分とつながっている世界で起こっている戦争に何ができるかを考えようと。オーソドックスな授業ですが、そうしたことを意識した授業を行っています。

中1倫理の授業。シスターと聖堂やルルドの泉などの施設をめぐります。

シスターがベトナムの禅僧ティク・ナット・ハン氏の著書をもとに「大地の瞑想」の実践

生徒に種を蒔き
生徒が発芽させて蒔ける人になるように

6年間で多くの生徒が好きになる倫理。清泉の倫理の授業の良さ、生徒の成長についてはどのように思われますか。

吉岡先生
私たちとしては、生徒に種をまいている、という感覚です。自分の種を発芽させ蒔いていける人になっていってほしい。そのための授業であるように思います。生徒は6年間でいろんな体験をしますし、いろんな教員が関わって自分の人生を通して語っていきます。だからこそ生徒は自己受容ができるのかもしれません。校内にいろんな相談相手がいるのです。

小野先生
生徒の成長は学校生活全般においてであって、倫理だけではないと思います。倫理科も含めて清泉の日常の中で自分も大事にする、他の人も大事にする、それが大切なんだと気づいていきます。生徒には、聖書で言われている「能力以前に存在していることが大事」ということも6年間伝え続けますので、生徒の中のどこかに入っていると思います。

吉岡先生
清泉の卒業生や進路を考える高3の生徒には、自分がどういう人になってどのように生きていきたいか、社会や世界のためにこういうことをしたい、という考えがまずあります。そのひとつの選択として外務省で働きたい、国連に勤めたいにつながっていきます。国連に勤めたいからではなく、自分は人のために何かをしてあげたいからこの進路選択という発想なのです。その意味では、清泉を卒業していく人たちには大学は途中段階。その先を見据えているように思います。グローバルな社会にあって、清泉の卒業生にはグローバルマインドを持って、国内外どのような場所にあっても自分のタレントを精一杯に活かしてほしいと思います。

在校生や卒業生からは、倫理が好き、リラックスできる授業、安心するといった声と同時に、グループワークが楽しい、いろいろな人の意見を聞いて視野が広がったなど、好意的な感想が多く出ました。授業をされている先生方はその理由をどのように感じられますか。

吉岡先生
小野先生はいろいろな素材を使って、様々な角度から気づきを得てもらおうという気持ちが強いので、だから倫理の授業に興味を持つ生徒がいてくれているのかなと思います。私は私なりに自分自身で生徒にぶつかっていくことを大切にしています。自分自身を出し、自身の経験を生徒たちにできる限りわかりやすく話して、「では、どうしたらいいのだろうか」と生徒たちに問いかけます。その結果、私に直接悩みをぶつけてこなかったとしても、いろんなところに素直にぶつけられるのかもしれないと思っています。授業スタイルは担当によってそれぞれの個性がありますが、お互いに信頼できている体制が伝統的にあります。

在校生にとっても卒業生にとっても、倫理はとても大切な時間のようですね。

吉岡先生
先ほどの話につながりますが、人生はいろんな選びの連続。先においてどういう人になっているのかが重要で、そのために何をしてどうやって生きていくかが大切です。私自身が清泉女学院に来て改めて気づかされたのは、ミッションスクールのミッションは学校から与えられるものではなく、それぞれ与えられていて、自分が気づく、もしくは今気づかなくてもどこかで気づかされていくものなのかなと。そういう出会いがあるのが清泉という学校であり、そのひとつに倫理がなっているといいなと私は思います。