「高い志と使命感」「人間と自然への深い理解と愛」「グローバルな視野」を身につけるためにさまざまな取り組みを行っている晃華学園中学校高等学校。生徒たちは、晃華学園生としての精神をさらに具現化するために、校外での活動への参加チャンスをつかみ、意欲的に行動していきます。今回は、高校1年で日本ユネスコ協会連盟の「高校生カンボジアスタディツアー」に参加し、カンボジアの歴史、文化、教育を学んできたHさんと、この機会を後押しした佐藤駿介先生に、貴重な体験による学びと成長について取材しました。
高校生カンボジアスタディツアーとは?
日本ユネスコ協会連盟が、かめのり財団(※)の支援で実施。国際協力の現場や世界遺産の視察、現地に暮らす人々との交流やボランティア体験に高い関心を持ち、教育や文化の面からカンボジアが抱える課題を積極的に学び、行動に生かす高校生を対象に募集される。Hさんが参加した第3回は、53名の応募者から選ばれた10人が参加。2016年8月3日から12日で実施された。
※日本とアジア・オセアニアの若い世代の交流を通じて、未来にわたって各国との友好関係と相互理解を促進するとともに、その懸け橋となるグローバル・リーダーの育成をはかることを目的に設立された財団。
日本ユネスコ協会連盟 http://www.unesco.or.jp/
日本ユネスコ協会連盟 http://www.unesco.or.jp/
H さん(高校2年) 佐藤駿介 先生
将来に向けて判断力や行動力をつけたかった
― 高校生カンボジアスタディツアー(以下スタディツアー)への参加応募には、まず校内選考があったそうですね。Hさんが行くことになった理由は何ですか。
佐藤先生 彼女には「こういうツアーがあるから行かないか」と声をかけました。実は、それまであまり積極的ではないタイプだったんですよ。ただ、高校1年の進路合宿で彼女が「国際系に進みたい」と言っていたことを担任だったので覚えていて、この話が来た時に「学校の勉強以外の形で、力を伸ばすきっかけや、輝き方があるんじゃないか」と思ってHさんに声を掛けたんです。 校内選考では、なぜ行きたいのか、自分はそのために何をやってきたのか、だから次にここに行きたいし、将来はこうなりたいというストーリーがきっちり書かれてあり、カンボジアに行きたいという意志を感じました。それに彼女は、科学同好会に所属して鶏の有精卵を孵化させたり、ユニクロの「届けよう、服のチカラプロジェクト」という難民支援の委員長をやったりいろんな活動をしているので、推薦できると思いました。
科学同好会で孵化を手伝って誕生したヒナはアクティと命名。
その後、晃華のスクールキャラクターにもなっている。
その後、晃華のスクールキャラクターにもなっている。
― 具体的に応募動機にはどういう内容を?
様々な場所で発表した資料を元に、話してくれたHさん
Hさん 私は難民や弱者に対しての関心がもともとあり、将来的には難民支援を行う仕事に就けたらと思っていました。ただ、海外経験が今までなかったので、そんな私が国際系に進むとなった時に、自分は判断力や行動力が足りないまま進んでしまうのではないかという不安がありました。それを応募動機に、自分が国際系に向いているのかを確認したいし、実際に外国を見てみたいという気持ちを書きました。でも、今まで小論文形式で自分の意見を表現するということがなかったので、本当に大変でした。
ありのままを現地で知る
カンボジアの歴史、文化、教育
カンボジアの歴史、文化、教育
― スタディツアーでは、事前学習で歴史のことを詳しく勉強していったそうですね。
Hさん 事前学習をやってから行くと見え方が違ってくるから本当に大事だと、スタディツアーに参加が決まった時から言われていたんです。歴史は一番興味があったので絶対に勉強してから行こうと思いました。カンボジアではポル・ポトが引き起こした内戦と恐怖政治によって虐殺が行われ、それが今のカンボジア経済に影響を及ぼしているので、カンボジアを知る上で歴史はすごく大事なことなんです。歴史のほかにも文化と教育を知ることがスタディツアーの目的でした。
― それらを現地で実際に確認していったんですね。
Hさん そうですね。歴史を知るために、まずは収容所になったトゥールスレン博物館に行きました。ここはもともと高校で、教室が拷問の場所になっていたので地面に血がついていたり、爪でひっかいた跡があったり、生々しいものがありました。 ほかにも大量の虐殺があったキリングフィールドでは、虐殺され地面に埋められたたくさんの方が未だにそのままで、雨が降って地盤がゆるくなってくると、衣服や頭髪が出てくることもあります。私たちが行った時も、地面から服や歯が出ているのが見えました。ここも内戦の歴史がよくわかる場所でした。
― 話を聞くだけではわからない体験ですね。カンボジアの文化はどうでしたか。
Hさん カンボジアはインドから来たヒンドゥー教の文化と、独自の仏教文化が融合した独自の文化を持っていて、とても大事にしています。国立の大きな博物館はお寺になっていて中にはお坊さんもいました。
他にもカンボジアは内戦の影響で遺跡が壊されていますが、その修復作業を日本人がやっていて、私も実際に修復体験ができました。修復は時間のかかる人の手による作業です。現地の人たちも活動されていて、修復がひとつの職業になっていたことが印象的でした。
また、カンボジアの世界遺産として登録されているアンコールワットは、年間300万人の観光客があり、入場料20ドルが大きな収入になるはずですが、それがなぜか隣のベトナム政府の収入になっています。その理由を国民もガイドの人さえ理解していないことに驚きました。
他にもカンボジアは内戦の影響で遺跡が壊されていますが、その修復作業を日本人がやっていて、私も実際に修復体験ができました。修復は時間のかかる人の手による作業です。現地の人たちも活動されていて、修復がひとつの職業になっていたことが印象的でした。
また、カンボジアの世界遺産として登録されているアンコールワットは、年間300万人の観光客があり、入場料20ドルが大きな収入になるはずですが、それがなぜか隣のベトナム政府の収入になっています。その理由を国民もガイドの人さえ理解していないことに驚きました。
現地の学校で子どもたちと交流
― 教育面でも驚くことが多かったですか。
Hさん 教育にも内戦が深く関わっていました。ポル・ポトの政策で教師がたくさん殺されてしまったために、現在の労働の中心を担う30代や40代の人たちが文字の読み書きができないため働き口が見つかりません。小・中学校は義務教育ですが、中途退学する人が多く、家庭の事情から高校へ進学しないことも問題になっています。私は、日本ユネスコ協会連盟が設けている世界寺子屋運動(中退者のための授業を行う場)を見学に行きました。私たちが行った時は手洗いや歯磨きの方法など、公衆衛生の授業が行われていて、クラスの生徒に年齢の幅があることも日本人の目から見ると不思議な光景でした。クラスに参加していた子どもたちと遊び、日本の文化を伝えるということで私はそろばんを教えました。あまり理解はしていなかったようですが、日本にはそろばんがあり、それで計算を行うということは伝えられたと思います。
― 自分自身も学生だけに、教育に関することは身近だったのではないですか。
Hさん 貧しい環境にある子供たちは学習意欲が強いと言われますが、本当にその通りで、自分から学ぶ姿勢ができていて、自分の知りたいことを何でも吸収しようという気持ちが強いんです。自分自身も見習いたいと思いました。
一つのきっかけで人はこんなに変わる
― 佐藤先生が見ていて、Hさんに変化はありましたか。
佐藤先生 自信がついたと思います。スタディツアーに行った後も彼女は「日本ユネスコ大会」や「かめのり財団」のワークショップに参加しました。そういう動きを見ると一つのきっかけで人はこんなにいろいろな体験ができ、変わるんだと思います。ひとつがうまくいくから次もやってみようとなりますし、最初の一歩が難しい中で、一歩を踏み出してその後が連鎖的にうまくいったことは、彼女にとって良い経験になったんだろうなと思います。また、代表として話す彼女を見て他の生徒も、「すごいことやったんだな」「負けたくない、私も何かやろう」と刺激を受けたと思いますね。
チャンスを活かしたHさんの話に笑顔が絶えない佐藤先生
Hさん 今まで人前で発表をしたことがなかったので、最初は緊張して自分の言いたいことがうまく言えなかったんです。でも、スタディツアーや帰国後にも人前で発表する機会に恵まれ、自分の頭の中で考えたことを人に分かりやすく表現するという、伝える能力が身に付いたと自覚しています。人に伝えることの重要性や大変さを知ったので、進路を考えるうえで報道という職業にも興味を持つようになっています。 中学3年まで自分は何がしたいのか、どんなことを勉強していきたいのかを考えたことがなかったのですが、自分自身がよく分かるようになって、そこからいろいろ自信がつきました。また、今回のスタディツアーでひとつの物事に対していろんな視点で考えるということが身についたと思います。学習面や進路だけではなく、生活面においてもすべてが今までの自分と違いますね。