吉祥女子中学・高等学校では、芸術系選択の高校2年生が、実際に幼稚園児が遊ぶ大型遊具を作るプロジェクト型学習「子どものための遊具制作プロジェクト」に取り組みます。園児の身体計測や個人プレゼンテーションを経て、約1900mm×1400mmのダンボール14枚で遊具を制作。実演会では、園児たちが面白かった遊具にシールを貼って投票します。芸術コースがあった時代から30年以上続く吉祥女子の名物授業について、長年美術科授業でさまざまな挑戦をされている德山高志先生に取材しました。
美術科 教諭 德山高志先生
本校では高校2年で文系、理系、芸術系(美術・音楽)から進路選択をします。そこで芸術系(美術)を選択した生徒に課す授業が週に10時間。そのうちデザインの授業が週に4時間、デッサンや色彩の基礎技能を学ぶ授業が6時間です。このように普通科で、デザインの授業まで設けている学校は珍しいと思います。 高校2年では秋の文化祭(吉祥祭)を境に、文化祭までの前半では視覚素材を基にプロジェクト型実習を行うビジュアルコミュニケーションデザインの授業を、後半には幼稚園児が実際に遊べる遊具を作る「子どものための遊具制作プロジェクト」というプロダクトデザインの授業を行います。これらのプロジェクト型学習でデザインの本質を体験して面白さを知ってもらいながら、実社会におけるアートやデザインにどのような広がりや制約があるかを経験していきます。その結果、自分の嗜好や進路に対する向き不向きがはっきりしてくるので、それを踏まえて高校3年の4月までに生徒一人ひとりに美術大学の中でもどういう学部や学科に行きたいかを考えてもらい、さらにその後の自分の姿もイメージしながら、ビジョンを持って未来に挑みます。
将来を考えたときに、例えば絵を描きたいなら画家やイラストレーターという発想は出ますが、そこに行き着くための具体的な道のりは誰も教えてくれません。大学でも放っておかれているのが常ですので、自分で開拓していく必要があります。 そこで高校の段階で過程を大事にするデザインの授業に取り組むことには大きな意味があると考えました。専門家に到達するまでの具体的な道が少しずつ見えるようにするためのシチュエーション作りや道具立てを授業で行い、その過程を一つひとつ自分で考えて乗り越えることで、生徒は「自分で解決した」「自分でクリアした」という実感を伴いながら、専門的な仕事への親和性を高めていきます。 ただし、ここで言っておきたいことは、社会の中の課題を解決するためにデザイン的発想や技術を使うわけですから、自分にとってのベストデザインが常に最良というわけではないということです。自分が考えた造形や発想を入れ込んで何らかの形にして、その結果に誰かが満足して喜んでくれるかどうかが大切です。そういうデザインの本質を実感する体験ができることが、プロジェクト型学習の一番の価値だと思っています。
「子どものための遊具制作プロジェクト」では最初に幼稚園児とコミュニケーションを図りながら、身体測定を行います。知識として知っていることと知識を使えることは別で、例えば生徒は5歳児の平均身長が110センチ足らずであることはわかっても110センチがどれぐらいのサイズかは実際に測定しないと実感できないのです。やはり答えは現場にしかないということですね。知識と行為が一致する状況で初めて理解できます。
「子どものための遊具制作プロジェクト」は、全員がひとつずつ作るのではなく、まずは模型を作り、それをプレゼンで絞り込み、最終の作品はグループワークで作っていきます。グループワークは仲良しでグループを組ませないことが大切で、同じような発想の生徒同士の組み合わせ、または抽選にして、アイデアや発想の相乗効果を狙っています。 また、ダンボールは14枚。接着は木工用ボンドとクラフトテープだけです。ダンボールには繊維の方向性がありますから厚みや曲げやすい方向などを考えて無駄なく紙取りをする必要が出てきます。こうした制約は社会に出ても実際にあるものです。 実は、生徒たちも条件がある方が考えやすいのです。〝自由に発想して〟というと、漠然としすぎてどこから手をつけてよいのか迷います。ところが制約があるとそれを出発点にできるので発想する方向性が自ずと定まっていき、それをきっかけに飛躍もできます。思い切った言い方が許されるなら、制約があったほうが面白いものができる、遠いところまで行けると考えています。 「子どものための遊具制作プロジェクト」で求められることは、制約を克服したところに出現する「子どもたちにとっての面白さ」と「構造的な耐久性」です。模型を作るだけではわからない体験を通して、生徒たちはデザインの本質を学びます。
プロジェクト型学習での作品制作によって生徒自身も自分がどういうものが得意で、どういう資質があるかが見えてきます。教員サイドの「こういう能力があるから、こういう学科がいいのでは?」という進学指導にもつながります。 作品制作の過程は、自分の思考の積み重ねがそのまま自分なりの方法論になっていきますから、理詰めできちんとしたものごとを考えることが得意な生徒も出てきますし、反対に直感的に「こういうものを作りたい」と強くこだわる生徒も出てきます。例えばプロダクトデザインをやる場合、きちんと作る生徒は企業内で標準化できるようなものを作ることに向いているかもしれませんし、こだわりの強い生徒はデザイナーではなく職人のように1点ものを制作する仕事が向いているかもしれません。そういうことがある程度、高校生の時点で見えてきますし、その上に本人の意志を重ね合わせてみると、進学先も具体的に絞られていきます。 その意味でも、最終的な遊具は全員に作らせるのではなく、プレゼンテーションと投票で絞られることを課しています。これが生徒それぞれの違いを際立たせるために必要なことなのです。ですから甘い点があれば厳しいこともはっきり言って、個々の違いを際立たせるようにしています。厳しいことを言われる生徒もいれば、褒められる生徒もいるのですが、私はそれを「差別」ではなく「区別」だと言っています。それぞれの資質や得意な方向に気づいて進みながら、具体的な歩みの一歩一歩を作っていくのです。
授業では、できるだけ方法や手順は伝えません。それは生徒の血肉にならないのです。 生徒たちはこれまで、順番にやっていけばわかる、できるというような教育を受けてきてしまっています。それが今の主流かもしれませんが、答えはそんなものでは出ない。答えは自分で出すものなのです。 特に中学1年の美術では「どうすればいいのか」「どこまでやればいいのか」「どこまでやったらよい成績がとれるのか」をすごく聞いてきます。つまり今まで そういうふうにやってきたんですね。ですから、自分で考えて、自分のやり方でやりなさいと言うと驚きます。さらに「それをやったからといって必ずいい作品になるわけじゃないよ」と言うと、質問した生徒は途方にくれます。 美術ではやり方の手順を踏んでも腕の差があって同じ答えにはたどり着かないのですが、学科試験は同じ手順を踏んだら同じ答えになります。そういう考え方を、方法や手順を教えないことで壊したいなと思っています。その結果、「だからこそ美術は面白い」と言ってくれる生徒が少しずつ現れてきます。それが面白いですね。
「子どものための遊具制作プロジェクト」のグループワークに入った高校2年の生徒たち。
「子どものための遊具制作プロジェクト」の面白さや難しさは?