「新しい学力」「新しい人間力」の育成を目指す海城中学高等学校では、中学3年と高校1年の2年間に、将来の生活に直結した家庭科の授業が行われています。進学校であり、男子校でもある同校が、大切な授業のひとつとして独自のカリキュラムを組み必修で行っているという家庭科授業に、好奇心いっぱいで取材に行きました。
龍崎翼先生[家庭科]
家庭科を通して自分の将来に目を向け、
生活者としての自分を考える時間をもってほしい
生活者としての自分を考える時間をもってほしい
男子進学校が家庭科を大切にしているというのは意外ですね。
龍崎先生:本校では中高一貫の真ん中の2年間、生活も勉強も落ち着いている時期にじっくりと家庭科に取り組みます。本校の家庭科のコンセプトは、これからの人生をより良くすることです。たくさん勉強をして良い大学に入り、高い所得を得て社会的成功を収めても、それだけでは必ずしも幸せとはいえません。家庭科の授業を通して、仕事以外の暮らしにも目を向け、その面でも充実してもらうことを目指します。
龍崎先生は海城で指導されて9年目とのことですが、家庭科の指導で大切にしていることを教えて下さい。
龍崎先生:授業時間は限られていますから、生活する上でより実践的なことを優先して扱いたいと考えています。バリバリ仕事をして高価なスーツを着ていても、ワイシャツのボタンがずっと取れたままなのはみっともないですよね。衣類の手入れができることは、きちんとした暮らしを手に入れるために必要な生活技術です。また、健康のためには栄養の知識も欠かせません。外食ばかりでは栄養が偏りやすいので、簡単な調理技術も必要です。お金や契約についての知識も大切です。儲け話に騙されたり、クレジットカードを使いすぎて返済に困るようなことがあってはいけません。 家庭科の授業を通してプライベートを含めた自分の将来に目を向け、生活者としての自分を考える時間をもってほしいですね。
プライベートを含めた将来というと結婚が頭に浮かびます。男子校の生徒に想像できますか。
龍崎先生:日常、女の子との関わりがほとんどなく、異性との関わりに心理的なハードルを感じている生徒もいるようです。そのため家庭科の授業では、男性と女性の違いについても取り上げます。ジェンダーバイアスをかけないよう、科学的に解明されているデータを示すようにしています。毎年、「結婚したいか」「子どもは欲しいか」などのアンケートを行っているのですが、「大好きな人と一生ラブラブでいたい」「家では自由に過ごしたいから結婚はしたくない」など意見は様々です。周りの友達の考えを知ることで、自分はどうしたいのか、自分にとって大切なものは何かを考える機会になっています。
「結婚したくない」という生徒もいるとは意外です。
龍崎先生:今は結婚しない人も増え、生き方も多様です。LGBTなどへの配慮も必要なので、話題の選定は難しいところもあります。それでも、未来を担う生徒たちには、家族や子どもをもつことの良さを伝え続けるべきだと思っています。私が女性の立場で「女性にとって魅力的な男性って?」「ずっと夫婦円満でいるには?」と振ると、正解がないだけにいろいろな意見が出ます。生徒たちには、素敵な人に出会ったときに、きちんと自分の魅力を伝えられ、パートナーとの関係を維持するために努力し歩み寄れる、そんな人になってほしいですね。将来どのような仕事に就くとしても
生活者の視点が不可欠と話す
生活者の視点が不可欠と話す
受験に関係ない家庭科の授業を、生徒は真面目に受けるのでしょうか。
龍崎先生:そこなんですよ(笑)。家庭科は自分には関係ないと思っている生徒には、将来どのような仕事に就くとしても、生活者の視点が不可欠であることを話します。例えば行政で制度や法律を作る仕事も、企業での商品開発も、生活者を理解することが必要です。そう話すと、生徒も暮らしや身のまわりの出来事を多角的に捉えようとしてくれます。
授業を続けてきた中で、龍崎先生の中で手応えを感じられていることはありますか。
龍崎先生:卒業してから、「家庭科をちゃんとやっといてよかった」とか「家庭科が卒業して一番役に立った」なんて言われると嬉しいです。
保護者の反応はいかがですか。
龍崎先生:東日本大震災の後、家庭科でしっかり生活力を身につけてほしいというご家庭からの声が多く聞かれるようになりました。それに伴って生徒の意識も変わってきたように思います。ご家庭の期待にも応えられるよう、生徒が興味をもてるように工夫した授業づくりを心がけています。
生徒が興味をもてるような工夫とは、具体的にどのようなことですか。
龍崎先生:身近な話題からテーマを広げることを心がけています。普段の自分の生活にリアルに関わってくる方が、生徒の食いつきが良いんです(笑)。例えば糖度測定は盛り上がります。普通のコーラとゼロ・コーラの2種類を糖度計で測ると、普通のコーラは糖度が10%くらいで、ゼロ・コーラは0%です。10%でもペットボトル1本に50グラムもの砂糖が入っていることに驚くと同時に、「ゼロ・コーラはなぜ甘いんだろう?」という疑問も自然とわいてきて、甘味料や添加物の学習につながっていきます。
身近なテーマだと理解が深まりそうですね。
龍崎先生:他教科の学びとつなげることでも、理解が深まります。例えば、栄養素の授業では糖やアミノ酸、洗剤の授業では界面活性剤といった理科の知識と絡めることで、栄養素の身体の中でのはたらきや、洗剤の汚れ落としのメカニズムを深く理解することができます。また、食料自給率、遺伝子組換え、フェアトレードなど他教科で学んだ知識を、生活の具体的な事例に絡めて取り上げることで、環境や社会に配慮した生活を意識するようになると思います。
iPadで動画マニュアル視聴やレポート提出
グループワークでのミニプレゼンにも活用
グループワークでのミニプレゼンにも活用
生徒はiPadを持っていますが、授業ではどのように使用しているのですか。
龍崎先生:裁縫や編み物の実習では、動画を使ったマニュアルを作成し、配布しています。1人ひとり進度が違うので、自分のペースで確認しながら進めることができます。iTunesUなどのアプリを使用して、毎回の進み具合を申告したり、レポートの提出などもオンラインで行っています。 高校生の調理実習でも、iPadにレシピや調理器具の画像や解説を入れることで、よりわかりやすくなりました。
実習以外の通常の家庭科の授業でもiPadを使っていますか。
龍崎先生:グループワークの際にはその場でスライドを作成してミニプレゼンを行っています。回を重ねるほど、効果的な資料を短時間で作成し、発表も上手になっていきます。調べ考え、相談し発表するという主体的な学びは様々なテーマで応用できますし、プレゼンの技術は大学生や社会人になっても役立つと好評です。
細かなマニュアルが動画で視聴できる
iPadを活用した授業やプレゼン
実践的で個性的な家庭科授業ですが、男子校ならではの部分はどこでしょうか。
龍崎先生:調理実習では、女の子がいたら頼ってしまう子もいるかもしれません。それがないのは男子校の良いところだと思います。包丁を上手に使える子や、手際よく調理できる子を見て、「料理ができる男ってかっこいい」と思う生徒も多く、次回の調理実習で活躍できるように家で練習してくる生徒もいます。友達に「すごい!」と思われたいという気持ちがモチベーションにつながっているようです。今の高校生は缶切りを使える子が少ないので、缶切りを上手に使える子はそれだけでヒーローです(笑)。
今後、家庭科で取り組んでみたいことはありますか。
龍崎先生:投資アプリなどを使用したより実践的な資産運用の授業をしてみたいです。現在でも、資産運用の基本的な考え方は授業で扱っていますが、仮想通貨など話題になったものに興味をもつ生徒が増えていて、リスクとリターンについて授業でよりしっかり取り上げる必要性を感じています。投資にかかる税優遇制度も拡充しているので、長期的な経済計画を立てるきっかけになってくれればと思います。 それから、ぜひ実現したいのは、乳幼児や高齢者、障がいのある方との交流実習ですね。生徒たちは、待機児童や介護離職といった社会問題の知識はあり、簡単に解決できる問題でないことも知っています。実際に触れて体験し、感じることで身近な問題として捉えてほしいと思います。医学部に進学する生徒も多いので、いろいろな立場の人に寄り添う感性を養うような取り組みをしたいです。人数が多いのでなかなか授業内での実現が難しいですが、今後挑戦したいですね。 この先、生活が便利になれば暮らしが変化し、家庭科で扱う内容も変化します。未来の生活に必要なことを生徒たちと一緒に考えながら、これからも楽しくて役に立つ家庭科の授業をしていきたいと思います。
中学3年 家庭科
学期 | 内容(一部を抜粋) |
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1学期 | エプロン製作実習 [基礎縫い(ボタン付け・ポケット付け)] 繊維の特徴・手入れ・リサイクル |
2学期 | 石鹸と合成洗剤 アクリルエコたわし製作実習 持続可能な消費 |
3学期 | 世界と日本の住まい 住宅情報の見方 間取りの設計 住まいの安全 |
高校1年 家庭基礎
学期 | 内容(一部を抜粋) |
---|---|
1学期 | 五大栄養素 現代の食の特徴 調理実習1・2 |
2学期 | 食事バランスチェック 食の安全 調理実習3・4 契約 クレジットカード 家計のリスク管理 持続可能な消費 |
3学期 | 現代の家族 少子高齢社会を生きる 調理実習5 |
高校1年生の家庭科で行われる調理実習。3回目のメニューは、ドライカレーとプリンだ。まずはタマネギ、にんじん、なす、マッシュルームなどをみじん切り。危なげに包丁を持って野菜を細かく切る手元を、同じ班のメンバーが固唾を飲んで見守るという光景が各テーブルで繰り広げられている。野菜を鍋で炒め始めると、安心したようににぎやかになった。 生徒たちが意外にも手こずっていたのがプリン。湯気の上った鍋にプリンカップを入れて蒸すことや、出来上がったプリンを竹串で型からあけるといった通常の調理にはあまりない作業は、慎重に取り組む実験を見ているようだ。完成品も加熱時間が長く“す”が入ったものや、型が崩れたものなど様々だったが、どの班も満足そうに試食。やはり自分たちで作ったものはおいしい。 テーブルには市販のプリンも並べられ、自分たちが作ったプリンとの食感や風味の違いや原材料にも注目する。ただ調理するだけではない自分たちの生活に結びつく要素がたくさん入った授業。この経験が、生徒たちのこれからに生きる。
龍崎先生
調理実習では、家にある調味料で作れる、野菜をたくさん使ったメニューを作ります。「これなら自分でも作れそうだな」と思えるよう、手順がシンプルなものを選んでいます。普段から野菜の摂取量を意識してほしいので、毎回野菜の重さを量っています。「このくらいの野菜で100グラム程度なんだ」とか、実際に調理して「生の状態でこのくらい、できあがるとこのくらい」とわかるようになってほしいですね。男子にも必要なものが詰まった家庭科授業で食生活が変わってきた
三浦くん[高校1年生]
よく使う自分の手提げ袋が破けても、簡単なところだったら手縫いで直せるし、調理実習は今後一人暮らしをしたら自炊をすることも考えられるので、そこで家庭科の知識は生かせるかなと思っています。今日は、玉ねぎを切って涙が出てきてしまいましたけど(笑)。家庭科で栄養面のことを勉強して、自分が好きなものだけを食べていると、ビタミン不足で体の調子が悪くなることを知りました。栄養のバランスを考えて食事を摂ることは大事だなと思ったし、授業後は食生活が少し変わってきました。家庭科は、実際にやってみると男子にも必要なものが詰まった科目だと思いますし、それをみっちり2年間学べるのは海城だけなのかなと思います。そういうことをほとんどやらない男子が集まり、こういう経験を不器用ながらできるのはいいと思います。
体作りに必要な栄養素や食べ方を知った身近な家庭科は活用できる
土屋くん[高校1年生]
家庭科はすごく楽しい授業です。グループワークもたくさんあるし、家で家事をあまりやらない人も多いかと思いますが、体験することでいろいろ知ることができるのがいいと思います。印象的なのは、調理実習ですね。今後に役立ちそうだなと思いました。中学の家庭科で作ったエプロンも、刺繍が難しかったので印象に残っています。普段は家で手伝いを全くしていませんが、調理実習での食器洗いが大変で、家では家族4人分の食器を母親が1人でやってくれているんだなと感謝しました。あと、僕は野球部で、体作りを考えていたんです。家庭科で栄養面について習ったことで、たくさん食べる以外にも、体にいいものや筋肉をつけるために必要なものなどを知り、いろいろ工夫して食べるようになりました。家庭科はすごく身近で活用できるなと思っています。
親に感謝することも多い家庭科 食わず嫌いの野菜も調理実習で克服
杉山くん[高校1年生]
僕は家で料理を作ることがたまにあり、調理実習は珍しくなかったのですが、実は僕、食わず嫌いで野菜が苦手だったんです。今日のドライカレーに入っていたピーマンやナスも食べたことがなかったのですが、みんなと一緒に食べてみたら、意外にいけるなと思えたんです。これからはそういう食べたことがないものにも挑戦してみようと思いました。印象に残っているのは、全くできなかった裁縫です。ボタンのつけ方や布の縫い合わせ方などいろんな方法を教えてもらい、今後一人暮らしした時などに使えるかなと思っています。
調理実習では、食器を水で洗ったのですが、冬のもっと寒い時期は水だと手が冷たくなるし、それを毎日の朝、昼、夕でやるとなるとものすごく大変だなと思いました。ボタン付けもずっとやってもらっていたので、家庭科をやると親に感謝する気持ちが出てきます。
中学3年生41人が5~6人の班に分かれて製作していたのは「アクリル・エコたわし」。紙パックをハサミやカッターで切って編み機を作り、そこに好きな色のアクリル100%の毛糸を絡めて、エコたわしを編んでいく。洗剤いらずで汚れを落とせるエコたわし。完成品は教室の前に展示されているが、生徒たちは紙パックを使って毛糸を編むと丸いたわしになるという実感が湧きにくいのか、「ゆるゆるでいいの?」「この毛糸、全部編むの?」と隣の生徒の手元と自分の手元を見比べながら、少し不安げ。1人1台のiPadで解説動画を見ながら、同じように作っていてもスピードはそれぞれ。網目のつまり具合が違ってやり直したり、先生や友達に相談したりしながら、他教科の授業とは異なる集中力を発揮して取り組んでいる。この後、冬休みには完成したエコたわしを使って掃除をする宿題が出るという。時間をかけて苦労して作り、愛着が湧いたエコたわしを使う掃除は、いつもより気合が入るはずだ。
龍崎先生
エコタワシの製作を通して、物作りに時間と労力がかかることを知ります。小さなタワシを編むのにこんなに手間暇がかかるなら、市販の服はなぜ安価なものがたくさん売られているのか。そんな疑問がエシカル消費やフェアトレードの学習につながっていきます。アクリルたわしは水だけで掃除ができ、洗剤を使わないので環境に優しいことにも、自分たちで実際に使って気づいてもらいます。山下くん[中学3年生]
家庭科の実習は、手順が用意され確認できるので、自分のリズムで焦らずにできるのがいいところです。無知の状態でも1から教えてくれるので理解ができるし、授業で学んだことを実際にやることも楽しいです。夏休みの宿題に洗濯など、やったことがないことをやる機会をもらえて、大学生になった時に役立つだろうなと思っています。安田くん[中学3年生]
家庭科の授業を通して、普段は全部親任せなので、結構大変なことをやっているんだなと実感しました。海城は男子校で男ばかりなので、家庭科の授業があることはいいなと思います。エコたわしは毛糸の色が違って、それぞれ個性あるものができそうで楽しみです。吉井くん[中学3年生]
エコたわし作りは、特に興味がなくて自分にできると思っていなかったのですが、iPadでわかりやすく丁寧なやり方を見られるので、抵抗なく作れています。僕は大学生になったら一人暮らしをしたいなと考えているので、料理や破れた箇所の繕い方などを教えてもらえるのはいいなと思っています。