自ら考え行動させる力を養う教材は、そのまま海城中高の教育の方向性に直結。海城がどのような教育を行っているのか? その片鱗を知るにも最適なコンテンツです。
未来の教室STEAMライブラリーVer.1
目次-CONTENTS-
03防災教育
~災害に対してどのように向き合うか~
解説【後半編】
演劇的手法を用いた教材で知る
価値観の異なる他者と協働する楽しさ
INTERVIEWEE
中村 陽一先生
国語科主任/体験学習推進委員会 委員長
石戸谷 直紀先生
国語科非常勤講師
「防災教育」教材後半5コマ 制作意図決められた答えのない問いに向き合うことで、
非認知能力の向上を図る
中村先生
本校では10年以上前から、特に「前提を共有しない他者と対話するコミュニケーション能力」や「価値観の異なる他者と協働し、新しい課題や決められた答えがないような課題の解決を図る能力」、「最後まであきらめることなく課題に取り組む能力」などの、いわゆる「非認知スキル」と言われる能力の育成を目指し、「プロジェクトアドベンチャー」(以下PA)、演劇の手法を用いた「ドラマエデュケーション」(以下DE)(*7)といった体験学習プログラムを実施してきました。
ここであげた能力は、2014年に中央教育審議会が、高大接続改革に関する答申において未来を生きる子供たちが身につけるべき力として示した学力の三要素のうち、「主体性・多様性・協働性」にあたる力であるとも考えられ、これからの時代を生きる生徒たちにとってぜひ身につけて欲しい力ですが、その育成を狙いとしているPAやDEは身体接触を伴う活動であるため、昨年度のコロナ禍の中では従来の形で実施することができませんでした。
PAやDEだけではなく遠足や体育祭なども中止となり、学校において生徒たちが主体的に多様な他者と協働する学びの機会は大幅に減ってしまっています。コロナがいつ収束するのかいまだ見通しはつきませんが、いつまでも学びを止めておく訳にはいきません。ICTを利用した「非認知スキル」育成のプログラムを開発できないか模索していたところ、今回の「STEAMライブラリー」作成の話を聞きました。
「防災」について様々な視点から学ぶ動画教材の作成に自分が貢献できるとしたら、これまで経験してきた演劇ワークショップの知見を活かすことだと考えましたが、初めはどのように演劇的手法を応用すれば良いかわかりませんでした。ただ、災害ボランティアとして活動されていた石戸谷先生から、被災地で起こり得る人間関係のトラブルについて具体的に話を聞くうちに、そんなトラブルを事前に回避したり、解決したりする方法を、学習者が様々な視点から考える教材の可能性に思い当たりました。
例えば災害避難所という非日常的な空間の中で、長期間に渡って生活する人々の間には、様々な問題が起こり得ます。互いの価値観や生活習慣はバラバラですから、それは当然のことです。しかし、互いに不満をぶつけあっているだけでは生活は成り立ちません。それぞれが価値観の違いを乗り越え、譲り合い、助け合い、協力していかなくてはなりませんが、トラブルを起こさないためにどのようなことを心がければ良いのか、どのような方法でコミュニケーションをとっていけば良いのか、その答えは一つではありません。そんな決まった答えのない問いについて生徒それぞれが考えるような教材は大変意義深いものになると思われましたが、そこに演劇的手法を利用することができるのではと考えたのです。
多くの生徒たちは避難所での生活がどんなものであるか知りません。被災地の現実について知識がありません。被災地で起こり得るコンフリクトの場面をドラマとして映像化すれば、そのドラマを視聴しながら、被災地での適切な振る舞い方、コミュニケーションの方法について考えることができるのではないか。演劇の力、フィクションの力を借りて、生徒たちに災害について考えてもらうことができるのではないかと考えました。
2011年の東日本大震災以降、毎年のように大災害の被害を受けている日本で暮らしている限り、被災地や避難所での生活は誰にとっても他人事ではありません。自分が被災してしまった時に、どのように振舞うべきか。価値観の多様な他者とどのように関わるのか、どうやって協働していくのか。被災地での具体的な場面を描いたドラマを視聴することで、生徒たちは自分ごととして考えることができるのではないか。登場人物それぞれの立場から考えを深めることができるのではないか。一度再生をすればただ最後まで再生を続けるだけの動画教材でありながら、一方通行の学びではなく、双方向的な学びが可能なものになるのではないか。そんな教材を作成できれば、新型コロナで止まってしまった体験学習の機会を補うようなものになり得るのではないか。想像はどんどんふくらんでいきました。
役者が演じる具体的な場面を見ながら、そこで起こる問題の解決方法について考えたり、他者との適切なコミュニケーションについて考えたりするという手法は、中学1年生対象に実施している「安全ワークショップ」で用いられています。「安全ワークショップ」は、校内で過ごす時間や登下校の時間に、互いが安全、快適に過ごす術を体験的に学ぶプログラムです。生徒たちは、コミュニケーションをとりながら課題をクリアしたり、互いに協力してトラブルの解決方法を創造したりする中で、適切な振る舞い方を学びとります。具体的には、生徒にとってトラブルの元になるような身近な場面、例えば、通学路を歩いている途中で人とぶつかったのに気づかず、何も言わず通り過ぎてしまったことで相手を不愉快にさせてしまうような状況などをプロの役者に演じてもらい、何が問題だったのかみんなで考えたり、生徒たち自身が日常のトラブルにどのように対応するか即興的に演じてみたりしながら、互いが安全で快適に暮らす方法を学んでいきます。
今回の「STEAMライブラリー」でも同じような手法が使えると思い当たることができたのは、石戸谷先生に被災地での具体的なエピソードを聞くことができたからです。避難所生活で子供の遊び場がなく困っている母親と、子供の声がうるさくて眠れないという夜勤の男性の話。飼い犬を家族のように思っている男性が、ペットを受け入れることができない避難所に犬を連れてきてしまった話。善意で活動しているボランティアの何気ない一言が、被災した人々の心を傷つけてしまう話。「災害大国」である日本において、他人事とは思えない被災地でのコンフリクトの場面を演劇にして生徒たちに届けることで、豊かな学びが生まれ得る可能性があると考えることができたのです。
- *7 ドラマエデュケーション ドラマ(演劇)の手法を用いて体験的に行われる中学での教育プログラム。ある状況や場面下に自分を置き、登場人物の身になって感じたり、役割や立場を入れ替えて考えたりして想像力を鍛えていく。グループで演劇を創作・発表する過程で、他者を見出し、自己の身体やこころを感じながら、価値観の違いを尊重する対話的コミュニケーションの方法や、効果的なプレゼンテーションの方法を体験的に学ぶ。「プロジェクトアドベンチャー」は、未知の世界に挑戦し、仲間と協力しながらコミュニュケーション力などを鍛える体験学習プログラム。
石戸谷先生
私は2019年春から海城で非常勤講師を務めていますが、その年の3月までの約7ヵ月は岡山県真備町で西日本豪雨災害(*8)の復興支援活動にあたっていました。単発的な災害ボランティア活動は3.11東日本大震災以前から行っていたのですが、滞在型で継続的に同じ被災地で活動するのは初めてのことでした。
その間、ボランティアと行政、ボランティアと住民の方々、住民の方々と行政、ボランティア同士、住民の方々同士に生じる様々な課題や問題を、直接的間接的に毎日のように体験しました。また、全国から集まるボランティアたちと衣食、時には住までを共にしながら活動してきて、とくに、いろいろな若い人たちの、現場に入る前と後の姿、様子の変化を目の当たりにして、「災害ボランティアは究極の学びの場」なのではないか、という考えを持つようになっていきました。
そして、心が折れられてしまうような被害に遭われた方々の前に進んでいく姿勢、その言葉と笑顔と優しさに支援に入った私たちが逆に力をいただきつつ、国内外からの個人や団体で参加するボランティアの思いと行動力、日々状況が変化する中で粘り強くことに当たる地元行政の職員やNPOのメンバーの問題解決力などに接し、災害支援、復興支援活動において最も大切なもの、その行動の源こそが「非認知能力」と言われているものであることを実感しました。支援活動を終える頃には、大げさな言いようですが、災害復興、災害支援活動は中高生の優れた教育コンテンツになるはずだし、そうなるべきだ、との思いが強くなっていました。
そしてご縁があって海城に勤めることになり、担当の国語の授業以外においても、「防災教育」あるいは「非認知能力」関係で何か自分にできることはないだろうか思っていたところ、「STEAMライブラリー」制作の話があり、海城チームに加えていただいたという次第です。
実際、非常勤講師として勤務を始めてみると、各教科の授業内容にしても講習にしても、とても充実しています。同時に、中村先生のお話にもあったように、演劇手法を取り入れたワークショップをカリキュラムに組み込んでいたり、課外プロジェクトで防災を学んだり、実際に災害ボランティアに参加する場が設けられたりしています。
他者をリスペクトして対話をし、人と人とのつながりを身体を通して学ぶという、まさに非認知能力にかかわる部分、人の成長を支え、社会を形づくる根幹となる資質・能力の育成にも本気で力を入れている学校であることがよくわかります。
「STEAMライブラリー」の話を聞いたときも、この学校なら、これまでにない防災学習の教材、被災地で生じ得る対人コンフリクトの問題に正面から取り組んだ防災教材がつくれるはずだと、私自身、わくわくしました。
- *8 西日本豪雨災害 2018年、西日本を中心に広範囲で発生した豪雨による災害。岡山県の真備町は河川決壊や土砂崩れなど甚大な被害があった。
教材のドラマ制作時の方向性沖縄の演劇人との協働
中村先生
被災地を舞台としたドラマを視聴し、適切な振る舞い方について様々な観点から考えてもらうためには、「被災地ではこのようなことを心がけましょう」というような、決められた正解を一方的に伝えてしまうドラマにならないようにしなくてはなりません。
また、登場人物の善悪がはっきりしていたり、登場人物のセリフが断定的であったりするようなドラマを作れば、生徒にとってはわかりやすく、問題解決の提案は容易かもしれませんが、多様な学びを可能とする教材からは離れていってしまいます。
そもそも、誰が見てもわかる悪人が現れて、非常識な言葉を断定的に発することでトラブルを起こす、なんていう劇的でわかりやすい展開は、私たちの日常ではそうそう起こりません。ただわかりやすいだけで、リアルではないドラマは今回の教材にふさわしくありません。
解決方法が簡単に思いつくような、リアルではないトラブルを描くわけにはいかない。視聴する生徒たちに情報を与えすぎてもいけない。とはいえ生徒たちの関心を引きつけられるような面白さは必要になる。実際に被災された人々の気持ちに配慮したドラマにもしなくてはならない。課題は山積みでした。
そのようなドラマを撮影するためには、この教材の意義を正しく理解してくれる人の協力が必要になります。私はすぐに沖縄の劇団「TEAM SPOT JUMBLE」(以下「TSJ」)のマネージャーである喜舎場梓さんに連絡しました。
TSJの方々と出会ったのは、「安全ワークショップ」のファシリテーターである田野邦彦さん(洗足学園音楽大学准教授・NPO法人PAVLIC理事長・青年団演出部)の紹介からでした。沖縄から「安全ワークショップ」を見学に来ていただいたことでご縁がはじまり、一昨年度には、私たちと田野さん、TSJのみなさんとで協働してワークショッププログラムを作成し、高校2年の沖縄修学旅行で実施することができました。東京の海城生が沖縄現地の演劇人と出会い、創作活動を通して沖縄に対する考えを深めるワークショップは、非常に意義深い活動でした。
TSJのみなさんは沖縄の色々な学校で演劇ワークショップを実施しています。初めて見学させてもらった時に、チームでファシリテートしながら実施するワークショップの質の高さに圧倒されたことを覚えています。演劇的手法を教育に用いる意義について経験的に理解していて、何より一緒にワークショッププログラムを創り上げた経験から信頼関係のあるTSJの方々でなければ、今回の教材向けドラマの作成をお願いすることはできませんでした。
撮影の際には、あらかじめ台本も用意しておいたのですが、細かな部分についてはその場で話し合いながら、場面を創っていきました。スタンダードな方法ではないかもしれませんが、教員と芸術家が協働してドラマを創るにはこの方法が必要でした。
私は教員なので、教育現場で使うために、生徒にとってどういう映像が良いのかイメージしたり、場面を映像で見た後で、生徒たちとどのような活動をすれば効果的なのかイメージしたりすることはできます。しかし、芸術家ではないので、どうやったらそういう場面を創れるのかは言えません。だから「このセリフが生徒たちにきちんと伝わるようにして欲しい」「ここは言葉ではなく身体の動きや表情から、その人物の心情を生徒たちが読み取れるようにして欲しい」「ここは人物が何を想っているのか、生徒たちが多義的に捉えられるようにして欲しい」などと、そのイメージを役者や演出家の方に伝えます。するとみなさんは、色々な方法でその場面を私が伝えたイメージに近づけてくれます。意見の交換を繰り返す中で、私が持っていたイメージを越えるような、より教材として意義深いような場面が立ち上がることもあります。時間のかかる方法でしたが、そのおかげで満足できる教材ドラマが撮影できたと思います。
もちろん実際の現場ではお互いのイメージが一致せずに撮影が滞ることもありました。お互いの意図がなかなか共有できず苦労することもありました。「非認知スキル」の育成をねらいとした教材を作成しようとする我々の「非認知スキル」も試されていたということでしょうね(笑)。ただ教員と芸術家が時間をかけて協働したからこそ、この教材を完成させることができたのだと思います。その協働の元には、これまで海城で実施してきたワークショップの中で創り上げた芸術家との信頼関係があるわけですから、これは海城だから作成できた教材なんだと今では思っています。
防災教育 ドラマ撮影時の様子
石戸谷先生
中村先生のやり方は、見方によっては、時間も手間もかかり、ロスが大きいし、リスクも背負うということになりますね。正直なところ、最初、私はかなり驚きました(笑)。
しかし、中村先生はワークショップデザイナーの資格も持っている専門家であるし、ワークショップの形で俳優さんたちと協創するというところに私も大きな魅力を感じましたし、自分自身の災害支援の体験からもそうした方法はこの教材づくりにマッチしているはずだという心の声が聞こえました。
そして、実際に沖縄では、俳優さんたちと製作スタッフの方々の鍛えぬかれた認知スキル、そして非認知スキルのすばらしさを目の当たりにしながら、チームで仕事に取り組むことの醍醐味を味合わせていただきました。
中村先生
この教材を作る中で、私自身たくさんの学びがありました。例えば、これまで海城でやってきたワークショップは、生徒と教員の関係性の上に成り立っている部分もありました。生徒は中学1年生の時から様々な体験活動に取り組むことになるので、学年が上がるにつれてワークショップに慣れ、例えば「アイスブレイク」と言われる、活動への参加を促すしかけも必要がなくなっていきます。
しかし、「STEAMライブラリー」は自分とは関わりのない不特定多数の人が見ることを想定して作らなければいけませんし、そもそもライブではないので、参加者の反応を見ながらファシリテーションの方法を調整するということもできません。この動画教材で学ぼうとする人の、参加意欲を高めるしかけを色々と考える必要がありました。
例えば、ドラマの中に、少し笑えるような場面を用意したり、経験しないとわからないような被災地の現実を感じさせる場面を入れてみたりと、動画を最後まで見てもらえるように工夫しました。登場人物にところどころで沖縄の方言を使ってもらい、ドラマで出てきた方言、「島言葉」についてまとめた資料を用意したりもしました。
動画や資料だけで、生徒たちが楽しく学べるような工夫をしなくてはならなかったことは、大変勉強になりました。この経験は、今後の自分のライブの授業やワークショップの実施に活かしていけると思います。
非認知スキルの重要性「非認知スキル」は幸せになる力
中村先生
私自身は、誰かを幸せにすることができる人だけが幸せになれると信じています。自分がしたことが誰かの役に立ったと感じられる時、自分の行動がきっかけとなって誰かが笑顔になったり、誰かが喜んでくれたりした時、私たちは幸せを感じることができるからです。
他者との関わりの中で、私たちは幸福を覚える。他人と協力して何かを成し遂げることの喜びもそうでしょう。誰かの役に立つこと、他者と協力して成果をあげる術の根本には「非認知スキル」があります。
そういう意味で「非認知スキル」とは、究極的には幸せな人生を送るための力だと思うのです。ですから、本校が「非認知スキル」の育成に取り組むのは、少し大げさかも知れませんが、生徒たちに幸せな人生を送ってもらうためなのだと個人的には考えています。
石戸谷先生
災害の悲惨な爪痕を残す現場を目の当たりにすることは、支援する側の人間にとっても、とくに若い人たちには辛く落ち込む体験であるはずです。ですが、ボランティアに参加した若い人たちは「楽しかった」「また参加したい」「ありがとうございました」と言って元気に帰っていきます。
ある学生さんは、活動を終えて帰るときに、「ぼくは今まで生きてきて、人からあんなに本気で『ありがとう』って言われたことがありませんでした」という言葉を残していきました。彼に「ありがとう」の言葉をかけたのは、もちろん被災された住民の方です。
私たちがお手伝いをさせていただくと、みなさん私たち一人一人に「ありがとう」と言ってくださるのですが、このとき、本当に助けられ、勇気づけられ、生きる力をいただいているのは、支援する私たちのほうだということが身に沁みるようにわかるんですね。
その学生さんのように、中高生のみなさんにも、人には、人と人との間にはこうしたこと、こういう力が本当にあるのだということをぜひ体感してもらいたいと思っています。
「防災教育」教材を制作しての思い他者と関わることを積極的に楽しんで欲しい
楽しみながら取り組むことが学びの質を高める
中村先生
例えば東京で大地震が起こったとします。海城に通う生徒たちは避難所で見ず知らずの他者と、突然一緒に生活することになるかもしれません。避難所では、自分自身の安全を守るためにも、価値観の異なる他者と協力して生活しなくてはなりません。
今回は、その術をドラマを通じて考えてもらう教材を作成したわけですが、ここで求められる能力、価値観の異なる他者と協働する能力は、私たちの日常生活においても必要な能力です。もちろんこの教材で学んだからといって、すぐに他者と協働することができる訳ではありません。この教材で得た気づきを、日常生活に活かすことが大切なのだと思います。ですので、ふりかえりのワークシートには、この教材で学んだことを日常生活にどのように活かすか考える項目を入れました。生徒たちには、日々の生活の中でも、どうしたら他者と協働できるのか、どのようにコミュニケーションをとっていけば良いのか、考えて欲しいのです。
これからの時代を生きる生徒には、将来どのような仕事に就くにしても、様々な価値観を持つ他者と協力して成果を上げることのできるような人になってもらいたい。以前取材していただいた時にも同じようなことを言った気がするのですが、人々の価値観が多様化している現代だからこそ、その多様性を活かすことが大切です。
既存の知識、能力では解決できない問題に直面した時、価値観の異なる人の意見やアイディアをうまくすりあわせ、多様な個性を活かすことで、1人では解決できない問題を解決していける人になってもらいたい。そんな人が育っていかないと、日本は滅びていってしまうという危機感すらあります。
何だか重い話になっていますが、個人的には価値観の異なる他者と協働することは「楽しい」ことだと思うのです。この教材を作成する中でも、沖縄の芸術家、本校の生物や地学の教員と協働する機会がありました。
もちろん価値観をすり合わせる作業は大変ですし、正直「何でわかってくれないんだ」とイライラすることもある(笑)。でも、粘り強くコミュニケーションしているうちに、だんだんと自分の世界が広がっていく感覚が得られることがあります。
価値観の異なる他者は、自分の知らない世界を見せてくれる。そうなってくると、楽しい。まあ、どっちが先か微妙なところで、他者と関わることを「楽しもう」とポシティブな気持ちで向き合うからこそ世界が広がるのかもしれませんが、いずれにせよ、他者と協働することを積極的に「楽しむ」ことは大切なことだと思うのです。それが質の高い学びにつながるわけですから。
この教材も、楽しく取り組めるように作ったつもりではあります。この教材に楽しみながら取り組むことで、生徒たちが他者の価値観を尊重し、協力して成果をあげる術を学び、実際に他者と積極的に協働するようになってくれたら嬉しいですね。
石戸谷先生
いま、中村先生が言われた「楽しみながら取り組む」ということは、被災地での復興活動・支援活動においても、大事なスタンスでありマインドセットだと思います。
20数年前、災害ボランティアを始めたくらいの頃は、被災地で笑うことは不謹慎である、というような雰囲気がありましたが、今回の岡山でも、その後に活動した福島でも、被災された住民の方にも、ボランティアにも「笑顔」がたくさん見られました。
もちろん、被災地はどの現場であっても、辛く悲しく苦しい状況であって、被害の程度や個別の事情、復興の局面にもよるのでしょうけれども、そこからの立ち直り、復興、そしてその持続的な支援には、人と人とのつながりの尊さ、すばらしさ、その喜びが力になるはずですし、笑顔にはその力を引き出す働きがあるのだということが共有されていきているような感覚があります。「楽しみながら取り組む」、これは、これからの学びのキーワードだと私も思います。
今回の「STEAMライブラリー」でイメージされている学習は「パソコンを前にした個別学習」のようですが、私たちの教材の特徴である非認知能力の育成という点からも、自宅学習などで見る場所は違っていたとしても、同じ動画を見て、自分以外の人と考えを交換しながら取り組めるような環境をつくれると、いっそう学習効果もあがるでしょうし、学習自体もより楽しくなるはずです。
そして、ぜひ、この教材で学んだことを、地域の防災活動や災害ボランティアへの参加をはじめ、チームワークで「非認知能力」を実感できる現場に自分を投げ込んで試してみて、いっそうの磨きをかけていってほしいと願っています。
目次-CONTENTS-
04農業と生物多様性の保全を両立するには?
~解説
農業と生物多様性の両立
正解のない問題を議論し、合意形成を図る
INTERVIEWEE
関口 伸一先生
グローバル教育部/理科教諭
「農業と生物多様性の保全を両立するには?」教材 制作意図農業と生物多様性
偏らない両立の形を考える
関口先生
農業は高齢化や後継者不足など様々な問題を抱えています。生物多様性の保全に関しては、地球環境問題の中で生物の種が急速に減少している現実があります。生物の減少が著しいのは農地周辺の「二次的自然」と呼ばれる場所で、背景に挙げられるのが農業の効率化。水路の三面コンクリート化などによって生き物が住めなくなっていることが一因です。
反対に生物の保全を重視しすぎると、農業の生産効率が落ちるという考えに至ることがあります。農業と生物多様性の保全を対立するものと捉えてしまうと、どちらかを犠牲にしないと成立しないという考え方になってしまうのです。
今回の教材「農業と生物多様性の保全を両立するには?」では、研究者、農家、米販売店、自然保護団体など様々な方の取り組みを動画で視聴し、農業と生物多様性を対立問題として扱うのではなく、両方にメリットがある形での両立を考えます。
WWFジャパンの持続可能な農業と生物多様性保全の両立のプロジェクトに携わっていた方々へのインタビューがメインです。各種の社会問題は、「あちらを立てればこちらが立たず…」の構図になりがちですが、この教材では両方にとって良い環境と状況を作るにはどうすれば良いのかを考えてもらいます。
教材を制作するうえで、「農業と生物多様性の保全を両立するには」というタイトルであり、生物多様性保全のメッセージが強くなると予想できました。特にWWFジャパンの九州でのプロジェクトに関わる農業や自然環境、社会環境の整備に取り組まれている方を取材したので、教材に出てくる方の多くは「自然を守りたい」という思いが根底にあります。
しかし、生物多様性保全を優先した考えだけで固めると、他の考えを拒絶するような偏った形になることもあります。それでは中高生が学ぶには適さないと考え、農業と生物多様性保全のどちらにも大切な部分があるという前提で探究するために、偏らずフラットになるように心がけました。WWFジャパンの方ともその考えは一致していました。
「農業と生物多様性の保全を両立するには?」教材の特徴答えを決めつけるのではなく
それぞれの考えや意見を大切に
関口先生
この教材には、答えがありません。何かひとつの答えを求めるよりも、農業や生物多様性、治水や土地利用のデザインといった視点を与えて、正解がわからない問題を皆で議論し、妥協点を見つけ、合意形成を図っていくという狙いがありました。
中でも、地域性、その土地が持つ歴史による違いを考えてほしいと思います。例えば、災害が多い場所では治水に力を入れた方が良いでしょうし、米が美味しいと昔から評判でそれを地域のブランドにしてきた場所ではお米の美味しさを維持する農法が大切に考える方が多いでしょう。
昔から貴重生物がいる土地なら、生態系や自然を重視するとそれが魅力になるでしょう。農業と生物多様性保全を考えるとき、それぞれの土地や場所によって関わる人の想いも変わり、答えが異なってくることに気づいてもらいたいと考えました。
この教材に一つの答えがないように、世の中の様々な問題にも答えの出ないものがたくさんあります。私が参加している「トトロのふるさと基金」での里山保全活動でも、常に正解がないことばかりです。
雑木林の維持に落ち葉掃きが良いと聞き取り組みますが、やりすぎると林床の植生が貧弱になるなど問題点も出てきます。昔ながらの有機農法だけだと、作物の収量が減ることも起こります。
人を大事にするか、自然を大事にするか、持続的に活動を続けるにはどうすればいいかなど、問題に完全な解決法や答えはありませんが、そこで大切なことは持続的に関わりながらプロジェクトを進めることではないかと個人的には思います。
その中で、自分が取り組んだ姿勢に対して自分はどう思うかという自己評価を大切にしてもらいたいです。今回の教材にアートの要素を入れた理由とつながるのですが、アートも自分が作ったものに対して周囲から評価を受け、批判されることもあります。
批判されたからダメなのではなく、そもそもその批判は自分の作ったものや考えに対して、妥当なものなのか。様々なことを考慮し、自分なりに納得した上での作品や考えであれば、ダメというレッテルを貼る必要もありません。
批判を受けつつも、自分に甘えることなく、自分が納得しているかどうか、そうした自己評価ができる力や度胸が、これからの世の中で必要になると思います。
「農業と生物多様性の保全を両立するには?」教材を制作しての思い海城の生徒をイメージしながら
個性を潰さない教材制作
関口先生
この教材を見て、突拍子もない考えをする子が出てきたとしても決して悪いことではない。一人ひとりの個性を潰さないものにしたいと思いながら教材を作ってきました。
農業と生物多様性保全を両立することを考えるときに、生徒一人ひとりが個人の考えとしてバランスが取れている必要性はありません。例えば、2割の人は農業を、2割の人は生物を、6割の人はどちらも大事だと考えるような形でも良いと思います。個々の主張は違っても、結果として社会全体でバランスが取れていることが良いと考えています。
どちらかに主張が偏り過ぎると、世の中の構図として不自然です。ですから、この教材を見て、農業を過剰に重視する子がいても、生物多様性に肩入れする子がいても良いのです。また、ドローンを使ったスマート農業の話が出てきますが、興味を持てばその分野を突き詰めてもいいと思います。
生徒の個性を重視することは、海城の授業でも同様です。中には驚くような偏った刺激的な意見を出す生徒がいて、若い考えだと思うときもありますが、大事な視点を教えてくれることもあります。
偏った意見だとしても教員がすぐに否定せずに一旦、受け入れることで、別問題の議論のきっかけになっていくのです。その経験があったので、今回の教材制作時も、いろいろな意見をうまく受け入れられる教材にしたいと意識しました。
加えて、社会科的な問題と理科的な考え方の両方を大切にすることにこだわりました。海城の生徒たちが中学3年時に卒業論文として社会科のレポートを作ります。米の流通問題や農家の高齢化問題を調べるとしたら、生徒たちは何を調べるか、どういう資料があれば探究していくかをイメージしながら作りました。
「農業と生物多様性の保全を両立するには」の教材を通して、世の中には様々な視点でいろいろなことを考えて取り組んでいる人がいる、その考えは学校の勉強ともつながっているということを少しでも知って欲しいです。
また、生物が好きな子は生物学者だけではなく、地学的要素や物理的要素にも興味があれば水路設計の道にも進めます。生物に関わるだけでも複数の仕事があって、実際にあらゆる役割を持って取り組まれているという関わり方の多様さを、この教材で知ってもらえたら嬉しいです。