- 中学副校長 堀内雅人先生
- Profile1985年に明星学園に国語科教師として赴任。明星学園37年目。国語科・総合探究科(哲学対話・卒業研究)を担当。1986年に生徒から命名された愛称は「ほりしぇん」。明星学園の中学校ホームページ内「トピックス」では、「ほりしぇん副校長の教育談義」などで教育への想いを綴る。https://www.myojogakuen.ed.jp/junior_high_school/topics
- 学園資料室 大草美紀さん
- Profile公立小より小学2年生で明星学園に転校。高校3年までの11年間明星学園に通う。自身の母も息子も明星学園の卒業生。明星学園同窓会の仕事を経て、学園資料室で資料整理に12年間携わり、学園の研究会資料や生徒たちの残したものなどを整理、データベース化している。現在は100周年記念誌を編集中。
自由とは何なのかを考え、
悩むことができる学校
堀内先生 100年前の大正後期であっても令和の現代であっても、「個性尊重」「自主自立」「自由平等」の教育理念の意味は同じです。子どもたちを既存の型にはめるのではなく個性を伸ばしてあげたいという「個性尊重」が明星学園の根本にあります。対する最大の敵は、自分さえよければいいといった考えですから、個性を伸ばすためには「自主自立」できていなければいけない。また、人を不自由にして自分が自由になった気になっても意味がありませんから、「自由平等」である必要があります。
明星学園では、切り離せないこの3つの理念を具体化し、本当の自由について学びます。明星学園は自由だと言われますが、好き勝手に自由なわけではない。葛藤や経験を繰り返しながら、自由とは何なのかを考え、悩むことができる学校なのです。
学園の過去の文献にも、「のんびり育てたくて明星を選んだと思ってもらっては困る」「遅れてもいい、転んでもいい、だけど自力で歩く子どもを育てたい」といった一見矛盾する言い方が出てきます。でも、ここにこそ明星学園の本質があるように思います。それを実現するために周りの大人は、手は出さないで見ていられるか。子どもを見ていながらも子どもが自力で立ち上がるのを待つことができるか。大人自身も強くなければ3つの理念は達成できません。
のんびり育てるといふことは「充分に自覚的であり、自律的であり、自発活動的であり、創造的であらせる教育、それ等から来る明朗な愉快な生活――」という意味にお取り下さるのでしたら私達は衷心から感激に堪えない。
なぜならば私達の教育は子供達にさうした生活をさせる爲めに充分に個性を尊重し、天分や素質を検索し、その上にそれぞれに即した指導を創案して行くことが指導の原理になって居るからである。
(中略)
なぜならば私達の学校生活では、力一ぱい精一ぱい――即ちいつも天分の極量を傾けて努力する生活をさせることがモットーだからである。
他人に寄りすがったり、人に引きずられたりおぶさったりして歩く子はつくりたくない。遅れてもいい、転んでもいい。教師の慈愛と激励の下にどこまでも自力で歩く子をつくりたいのだ。
のんびりして居るが如くに見えるのは生活が自覚的に自律的に展開していくからである。自身に向かって勇往邁進、敢えて憚るところがないから明朗であるのだ。
然し自らの生活を自ら律して行く彼等の内面的生活には瞬時の油断も余剰もあり得ないではないか。
- 照井猪一郎[創立同人、創立期の小学校校長、戦後は中学校校長も兼務]
- 小学部教育月報『ほしかげ』第4号「惑星の嘆き」<部分>より
- 1933(昭和8)年12月10日発行より
ぶつかり合いながら学ぶことにこだわる
堀内先生 世の中では今、「自立」「自由」といった言葉がもてはやされていますが、明星学園が100年前から取り組んできた「個性尊重」「自主自立」「自由平等」を、本当の意味で行うのは今の教育界においてかなり難しいことだと思います。
箱を作るのは簡単です。探究の授業と称して机を並べ変え、ICT機器を置いて1人で自由にパソコンを操作すれば自立して学んでいることになるかというと、そんなことではない。異質の集団の中でどうやって自立していくか、自分と価値観の違う人との協同を考えてこそ「個性尊重」「自主自立」「自由平等」が実現できるのです。
「ドルトン・プラン」<*1>という教育法は明星学園の創立者である赤井米吉が日本に紹介しましたが、最終的にその教育法を彼が選択しなかったのは、明星学園が「集団の中できちんと学びを作っていくこと」を大事にしたからです。
現代の学びは個別化し、多様性と言いながらも他者に関心を持たずに自分がやりたいことをやる学びになっています。その方が煩わしいトラブルも起こらず楽なのです。しかし、明星学園はぶつかり合いながらも集団の中で学び、本当の自由を求めることにこだわってきました。
<*1>ドルトン・プラン…アメリカのヘレン・パーカーストにより指導・実施された教育指導法で、子供たち一人ひとりの能力を伸ばす目的で考案された。
(前略)
現実には、自分の自由を求める事がほかの誰かの自由を奪ってはならない事です。個人の自由のために他人が犠牲にされては矛盾です。そこに集団の中で自由を求めるという努力が要求されて来ます。自由を守るためにも、求めるためにも、組織団結が要求されます。集団学習、自治組織はそれを果す方法です。我々と違い、強く意志的です。
子ども達には、本当に強い自由への憧憬とそれを実現する努力的な魂を育てたいと思います。まだまだ非常に不十分ですが。
- 寒川道夫[1948年明星に就職。小学校教員。4・4・4制時代の1966~1969年小学校校長]
- 明星学園PTA会報『道』No.46 「自由こそ命」(部分)より
- 1959年(昭和34年)発行
常に創立当初からの考え
堀内先生 明星学園の先人たちは、自分たちの理想を持って学校を作り、「社会もそのように変わらないと意味がない」という考えでした。この学校の理想は社会の理想であるというわけです。しかし社会はその後戦争へと向かい、戦後は高度成長期。子どもたち一人ひとりの個性を伸ばすという時代ではなかったため、理想と現実にズレはあったでしょう。
それが今、国が多様性や個性を尊重する方針を打ち出すなど、言葉の上では明星学園の理想のような方向になってきました。ただ、現実はどうかと言えば、多様性と言っているばかりで、少数派が虐げられていたり、個性尊重と言いながら表面的な個性に縛られ、同調圧力に苦しむなど、教育現場はなかなかうまくいってはいません。
現代を語るうえでキーワードになっている地域や国家のレベルを超えていこうという「グローバル社会」についても、共通の理解・基準を作ろうとするあまり、逆に基準がシンプル化されることによる格差の明確化、それぞれの文化の個性が消失してしまう危険性など、本来の目的とは逆方向に現実が動いているのではないかということが気になります。
教育現場に話を戻せば、方針だけが上から降りてきて、現場の教員たちは右往左往するばかりです。教育界の中には子どもたちの興味関心を大切にする経験主義と、学力をつけるためのきちんとした体系的な学びを重んじる系統主義という2つの軸がその時の国の方針によって振り子のように交互にやってきます。
明星の教育は時代によってその比重は違っても、深い部分での経験主義と系統主義のどちらも大事にしてきたのだと思います。それは矛盾しません。授業は面白くなければいけません。子どもたちの興味関心を引き起こす授業内容や方法が求められます。しかし、ただ楽しければいいわけではなく、関心から深い思考につなげるためには教員の指導が重要です。つまり経験による学び、系統による学びそれぞれの良いところをどう結びつけるかを考えつつ、生徒をしっかり見ながら、時にはバランスを取り、時にはどちらかに寄ることもあったのです。
しかし、教育の振り子がどちらかに寄ったとしても、立ち返るところは創立当初から伝えられてきた教員とはどうあるべきかという考えではないかと思います。教員は授業方法を考えるだけでなく、授業内容も研究しなければいけない。自分たちで教科書を作る、カリキュラムを作るくらいでないといけない。生徒に何を教えるか、どう教えるかは、学校が一体になって考えなければいけない。そして教員は、授業がうまいだけではなくて、生徒をしっかりと見て、どれだけ子どもたちと一緒の時間を過ごせるかが大切なんだ。こうした考えが明星の教育の軸としてあると思います。
大草さん 子どもたちに自分で行動することを教えるために、先生たちは模索しながらいろいろな工夫を重ねています。その教えが積み重なっていくと、子どもたちは「自分でやらないといけないんだな」「自分で考えないといけないんだな」「答えとは先生が出した三択から選ぶのではなくて、自分がその理由を説明ができないといけないんだな」と、思うようになって自立していきます。先生たちは、明星の教員用の教科書がないから大変ですが、「先生、そんなの全然わかんないよ」と、授業中に意見をはっきり言う子どもたちに育っていきます。
(前略)教育に於て何よりも大切なのは、児童を見ることである。教育そのものに於ても、教育研究の為にも、児童を見ないで、概念的に仕事をしていては何物も生み出すことは出来ぬ。日本教育の行詰りは、結局教師が児童を離れる為である。教室に於て、運動場に於て、一層児童に親しまれんことを切に希望する。授業だけで、あとは職員室に閉じこもる様なことは絶対にさけなければならぬ。(後略)
- 赤井米吉[創立者。学園長・女学校校長を兼務]の日記
- 1930(昭和5)年4月4日新学期最初の職員会議発言の草案
- 中野光著『教育改革者の群像』国土社1976年3月25日初版発行より
教員にも求められる自立
堀内先生 明星の授業では、検定教科書をそのまま使って指導しているわけではありません。検定教科書を使わないのが目的ではなく、教科としてのカリキュラム研究をしてきた結果、そのようになっているということです。私は国語科ですが、半分ほどは教科書教材を使ってきました。しかし定番教材に新しい価値を見出すこと、あるいは自主教材を発掘する過程は、本当に教材研究・授業研究の力を鍛える場でもありました。
こういった明星の指導方法に対して、教員が好き勝手に授業をしているのではないかという指摘があるかもしれません。しかし、明星には教科研究会、教科を超えて授業を見ながら授業検討をするという教員の文化があります。新しい授業を創る時は多くの質問や批判にも応えていかなければいけません。それは考えに考える時間で、常に疑問を持ち、生徒がどう思うかを想像しながら授業プランを考えます。教員としてとても厳しいことですが勉強になる時間です。自分で考えざるを得ないからこそ、そこで鍛えられます。
私が明星に来た1年目の新学期前に「使用する教科書をもらえますか」と先輩の先生に尋ねると「教科書は使わないよ」と言われ、「では何を教えたらいいのですか」と聞くと、「私は4月は詩から教えているよ。好きな詩を自分で選んでみなさい」と言われ、必死に詩集を読みあさり、いくつかの詩を選びだしました。その中には、30数年教え続けることになった詩もあります。
また、本校では『小中公開研究会』を毎年秋に行い、他校の先生に授業を参観していただき、貴重な意見をもらいます。独りよがりの実践というのは最も怖いことですし、この研究会は自分たちに課していることでもあります。一方で、個々の実践を高めるために外に学びに行く機会を自分自身で作っている教員も多いですよ。
こうして教員が主体的に授業を創っていくことには大変さもありますが、私はそこにこそ明星学園の自由を感じていますし、明星では教員も自立できていないとやっていけないと思います。その中心にあるのは、やはり創立当初からの理念です。
天下、学校実に多い。その中へ我々の学園が出現したのは何の為であったか。文部省の定めるところのものを克明に実現しようとしてならば何もこう苦んでこの学園を建てる必要はなかった。実に新らしい時代が要求する教育を実現せんが為であった。その為には文部省のものにも囚われず、厳密な批判を行って行かねばならぬ。勿論敢て異をたつる必要はない。然し、研究、実験の労をさけ、既成の教育に追従するのは学園の堕落である。深く慎まねばならぬ。その為には常に研究的態度をもって教材に、教法に研究をおこたらぬ様でなければならぬ。(後略)
- 赤井米吉[創立者。学園長・女学校校長を兼務]の日記
- 1930(昭和5)年4月4日新学期最初の職員会議発言の草案
- 中野光著『教育改革者の群像』国土社1976年3月25日初版発行より
「考える」ことが明星の授業
堀内先生
明星の授業では、教員が正解に誘導するように質問して、生徒に答えさせることはありません。教員と生徒の関係において、教員の知識量が多いのは当たり前ですが、常に教員が正解を伝えるだけの存在になってしまうと、生徒との関係性は固定されてしまいます。生徒は自ら考えるようにはなっていきません。教員が生徒に「どう思う?」と質問をして、Aくんの考え、Bくんの考え、Cくんの考えを聞いていく。
その考えが間違っていても構いません。違う考えが出てきた時に生徒たちは初めて教員の顔色をうかがうことなく「どっちが正しいんだろう?」「自分はこっち。なぜならこう思うから」と考えるようになります。そこから対話が生まれます。分からないということも大切な自分の意見です。なぜ分からないかの理由を説明してもらうことで、授業が深く展開していくことはことのほか多いのです。
自分の考えは、「それは違っているよ」と先生に否定や批判されるものではなくて、他の生徒の意見を聞いて「そうか」と納得したら変えてもいい。自分で考えて、自分から動ける。そこが重要なのです。つまり、「間違えてはいけない」という発想では明星の授業は成り立たない。いろいろな違う考えやその理由から「考える」ことが明星の授業です。
間違えることを否定されると、だれでも失敗は嫌ですから、自分から答えや意見を言わなくなり、わからない=ハテナを周りに言えなくなります。明星の授業ではハテナの子がなぜハテナなのかという理由を本人が言う。周りはなぜハテナなのかを一緒に考える。そのプロセスを大切にしていて、これは研究授業を通してずっと伝えられている明星の授業方法です。
もちろん、いろいろな意見がバラバラに出てくるだけでは授業がまとまらないため、どういう発問をするか、選択肢のどちらの立場かをはっきりさせてから対話を引き出すなど教員はさまざまな工夫をします。一人一人の生徒がお客さんにならず、当事者意識を持って授業に参加できるようにするための工夫です。
大草さん
明星の先生は授業でのリードが上手です。「みんなどう思う?」と聞くと、生徒からはいろいろな意見が出てきます。「それってどういう意味?」と自由に言い出せる雰囲気が授業にはありますし、疑問を持てば「先生、それについて聞きたい」と言えます。先生も生徒の答えが間違っていても否定せずに一つの答えとして黒板に書いてくれて、どうしてこう思ったのかを聞いてくれます。
小学校からそのスタイルを続けるので、中学校から入学した生徒もそれを見て「意見を言っていいんだ」「疑問が出たら聞いていいんだ」と思って育っていきます。この明星の授業スタイルはずっと引き継がれています。
- <ココロコミュ 明星学園数学授業記事>
https://cocorocom.com/school/article/22 - <ココロコミュ 明星学園理科授業記事>
https://cocorocom.com/school/article/19
堀内先生今、しきりに問題解決のための勉強が求められます。確かに問題は解決されるためにあるのかもしれませんが、安易な課題解決は逆に思考停止をもたらします。むしろ問いを自ら創り出すことができるかといった時代になってきているのではないでしょうか。手っ取り早い答えはネットで検索すればすぐに出てくるのです。大切なのは、果たしてそれでいいのかという問題意識です。
本当に大切な問いというのは、簡単には答えは見つからずずっと考えなくてはいけないし、そのためには考えることに対する謙虚さが求められます。その時点での自分の考えは恐れず述べることは大切ですが、自分とは異質の意見に耳を傾けられる土壌がないといけないのです。
「考える」にはエネルギーが必要で、かんたんにすっきりとはしません。考えれば考えるほどモヤモヤが増えてくるものです。それに対して声高に「これはこうだ」とはっきり断言するタイプの人の中には、自分とは違う意見を一切受け入れない人が多いように思います。人の話を聞かないから言えるのであって、いろいろな視点からの話を聞くと自分の考えを言うのにも慎重になってきます。迷ったり悩んだりすることの大切さを思います。そのような中で、どれが正解かではなくて、「自分はこう考えている」と言えることがこれからの時代に求められてくる力なのではないかと思います。
(前略)知識の所有といふ事にのみ重きを置く人々は何でも覚えて居なければならぬやうに考へるが、之程馬鹿な話はない、昔は物識りが必要であった。併し百科事典も図書館も完備せる現代に於いて、物識りがそんなに必要だとはどうしても考へられない。大事なのは研究の方法や態度の出来て居る事である。どう調べれば之が分かるかといふ点にすぐ気がつく事である。
知識の所有の量の多きを望むよりは、知識を働かす力の方が大事である。即ち大事なのは所有の教育ではなくて創作の教育である。結局私の六年間の努力は、子供の力を創作的に発展せしむる努力であった。(後略)
- 霜田靜志[明星創立2年目に小学校教員として就職。前任校は成城小学校。専門は美術教育。A・S・ニイルを日本に紹介]
- 小学部教育月報『ほしかげ』第7号「明星の教育」より
- 1934年(昭和9年)発行
「明星学園ぼろ学校 入って見たらいい学校」
大草さん 前任校の成城小学校を2月に辞めると決めた赤井米吉、照井猪一郎、照井げん、山本徳行の4人の先生が新たに学校を作ることになり、3ヶ月で校舎を建て、5月に明星学園を開校しました。成城小を辞めると決めた1ヶ月後には生徒募集を始めています。手書きのチラシを8000枚作って中央線沿線にまいて、それで21人の生徒が集まりました。
大正時代の終わりは、今より受験勉強が盛んで教育熱心な時期で、とにかく子どもには勉強させるという風潮でした。でも、明星学園のような方針で子どもに勉強を教えてくれる学校に行かせたいと考える親もいたので、そういう人たちが明星を選んでくれたのでしょう。詰め込み教育ではなく、自分から勉強したいと思うような人間に育てたいというニーズはあったようです。当時の井の頭には麦畑と森しかなく、「あんな田舎の麦畑に学校を建てても、生徒が集まるわけがない」と言われながらも、この場所が気に入ってここに建てたといいます。
今では中学校の校舎が小・中・高の中で一番古くなりました。小学校のジグザグ型の校舎は2代目で、初代のジグザグ校舎は、在校生の保護者で建築家の清田文永氏によって設計された建物でした。木造平屋建てで12教室あり、6教室ずつ前後2棟に分かれて建てられていました。子どもたちが教室からそのまま外に走り出して行ける校舎にしたいという希望があり、当時でも平屋は珍しかったようです。
出来上がった校舎が良かったので、2代目校舎にも引き継がれました。小学校に比べると中学校校舎は一般的な形の4階建てですが、味のある校舎にはなっています。グラウンドも創立当時からのものです。今の中学校校舎の場所は、昭和30年代初めまではお隣の家が建っていたそうですが、そこを買い取って中学校の校舎が建てられました。
大草さん私が好きな明星学園のエピソードは、子どもたちが「明星学園ぼろ学校、入って見たらいい学校」という歌を歌っていたという話です。明星学園の30周年でPTAが作った会報に載っています。その歌は、昔からたびたび聞いたことがあるのですが、明星学園の校舎はいつの時代もぼろいので、受け継がれてきたのかもしれません(笑)。
創立時は、柱が立った上に屋根が乗っただけのような壁のない校舎に子どもたちを迎えて開校式が行われました。しかもその日は土砂降りの雨だったそうです。子どもたちはその中でも新しい学校を喜びましたが、先生たちは泣きたくなりながらその日を過ごしたという話が残っています。
今でも「お金を出してみんなで新しい校舎を建てよう」といった記事の後に、「明星は校舎がぼろくても、中にいる人たちがよくやっているんだから、校舎なんか二の次だ」という記事が出てくるので、なかなか新校舎を建てるところまでは進みません(笑)。でも、それも明星学園です。
自信を持って主張していく
堀内先生今の明星学園のあるべき姿としてお伝えしたいことは、「ある意味での鍛錬は必要なんだ。のんびりした学校生活のように見えて、それは自分自身の努力に支えられていなければいけない、そこは誤解しないでほしい」ということです。ある大先輩の先生から「明星学園は柔らかな鍛錬主義の学校だ」というお話をかつて伺ったのですが、言いえて妙だと私自身腑に落ちたのを強烈に覚えています。
きちんと努力すべきことは甘くしてはいけない。鍛錬とはみんなが同じようなことを同じ時間でやらせるということではなく、その子なりに背伸びしてやれることはしないと成長できない。緊張する場を与えて初めて子どもたちは成長するといった意味合いです。鍛錬一本やりになってしまうのが一番怖いことで、一人ひとりにちゃんと目をかけることが“柔らか“なのだと思います。その意味で生徒以上に教員こそが鍛錬を求められますね。
今まさに、大正13年にこの学校を作った人たちが育てようとしていた人間が求められています。子どもたちは今後、いろいろな価値観を持っている人や、海外の人とも一緒に仕事をして、習慣や価値観が違う人たちとプロジェクトを組み、いろんなことを考えていかなければいけない。その時に自分の考えを伝える必要が出てきますし、やはり協同が大事になってきます。
おそらくこれまでの社会でもそういう人材は求められていましたが、ほんの一握りのエリートだけで良いと思っていたのでしょう。しかし今は、どのような職業に就こうが、きちんと自分の考えを持って行動しなければいけない時代です。だからこそ、明星学園としての役割は大きい。そういった教育ができる学校は簡単には増えないからこそ、明星学園がこれまでやってきたことを、自信を持って主張していくことが大事かなと思います。
大草さんどの時代も先生たちは苦労してきました。この2年はコロナによって今までやってきたことができない時間が長く続いてしまったし、前からやってきたことを続けていく苦労も、急にできなくなった時に次を考え出す苦労もあります。今は世界中みんなが同じですが、明星も今までにない、創立以来の事態に見舞われている最中。頑張るしかないと思っています。
他とは違えば違うほどおもしろい世の中になる
堀内先生 コロナ対策の自宅学習で、明星を含むあらゆる学校でオンライン授業ができるようになりました。中高生の考えるツールとしてはいろいろつながれるし、知識は膨大で、とても魅力的なものです。ただ、それをうまく使いながら自分の考えを発表できるようになるのか、反対にそちらに支配されて大事なものを見失ってしまうのかは大きな分岐点です。明星の教育を一歩進めるためにICTをどう活用していくかはよく考えなくてはいけない。そこは不安でもあり、楽しみなところでもあります。
いつの時代も学校は苦労がつきものですが、それは当然のことです。苦労をなくすためにルールを作って、それを生徒に守らせるとか、教員が苦労しないですむよう生徒に質問させず黙って教師の話を聞かせるという関係性を作ることは、明星では絶対にありません。明星の授業をやろうと思ったら生徒と向き合わなければいけないのです。
明星学園のような学校は絶対に必要です。このような学校が本当の意味で理解されるとき、まさにおもしろい世の中になるでしょう。その意味でも明星学園の教育はこれからも注目されるものでありたいし、主張し続けたいと思います。
私達は限りなく自由を愛した。しかしその言葉を簡単に丸のみにされることを極度におそれた。自由は個人の心理的なわがまゝを許すことではなかった。私達は慎重な用意のもとに、古いかせからひとまづ子供達をとき放したのだった。だがそれには子供達との間に深い理解ときびしい約束がうらづけられていた。
自らの力で自らを守る自主のよろこびをえた彼等は、惜みなくその力をもちよって友達と助け合わなければならなかった。従って他人の自由を無視し、集団の秩序を乱すようなことをしては、それはそのまゝ自分の自由性の喪失であった。
(中略)
自主自立は人の意志を強く鍛える。個性尊重は人権不犯の原則で、正しい人格はこれに根ざす。自由平等は人間の生活を明朗にし、人類に永遠の平和を与える。
「強く――正しく――朗らかに――」この明星の教育語は永遠に愛誦されていゝ。
- 照井猪一郎[創立同人、創立期の小学校校長、戦後は中学校校長も兼務]
- 『明星』25周年記念号 「愛とおそれと」より
- 1949年(昭和24年)発行