大谷中高時代の
リケジョな活躍
- 中1科学部に入部。合宿で土星を見て宇宙に興味を抱く
- 中3韓国で開催された、宇宙に興味がある中高生の国際イベントに参加
- 中3水ロケットの発射実験に熱中し飛距離を伸ばす
- 高1JAXAの1日宇宙記者を体験し、種子島でのロケット打ち上げに立ち合う
- 高3大気圧に関わる理論研究を、アジア圏の中高生研究者が集まるシンガポール学会で発表
GRADUATE INTERVIEW
香門 麗さん
大谷中学校・高等学校 2018年卒業
東北大学工学部 機械知能・航空工学科航空宇宙コース 2022年卒業
東北大学工学研究科航空宇宙工学専攻 2024年修了
大谷中学校で宇宙の魅力に目覚める
香門さんは大谷の医進コース卒業生です。元々は医師志望だったのですか。
香門さん
小さい頃はバレエとピアノの教室に通っていて、今でも母から冗談まじりに「蝶よ花よと育てたかったのに!」言われます(笑)。私自身は、小学校高学年の頃から漠然と医師に憧れるようになり中学受験の道を選びました。
入学後、科学部に入部されたのはなぜですか。
香門さん
私が入学した当時の科学部の顧問が西田先生という理科教師の方で、授業などで科学部の話をよく話されていました。とても面白い先生でしたので、きっと科学部も楽しいんだろうなと。実際、科学部の活動は楽しかったです。中学の最初の頃は、みんなで雪の結晶の研究をしたり、スライムやカルメラ焼きを作ったりと、科学の道具で遊ぶようなことをしていました。科学部では、生徒が好きなことやしたいことを積極的にさせてくれたので「では、私は水ロケットを作ろうかな」と思ったんです。
水ロケットを作るようになったのは、何かきっかけが?
香門さん
中学1年生の科学部の合宿で、兵庫県立大学西はりま天文台に行きました。そこでの夜間天体観測で、土星を見たのがきっかけです。大きな天体望遠鏡のレンズを覗き込んだら、くっきりと土星が見えて、「レンズの裏に土星のシールを貼っているのでは?」と疑ったほど綺麗だったんです(笑)。
そこから宇宙に関する本を読んだり、科学部にいた特に仲の良い2人の友達とプラネタリウムのある大阪市立科学館などに遊びに行ったりするようになりました。
彼女たちとは科学部で、いろんなモノ作りや実験に取り組みました。プラズマボールという球体の中で電気が光のビームになって見える実験装置を作りたいと言えば、バイク店を巡って部品を調達したりもしましたね。
大谷の科学部は以前ココロコミュでも取材しました。
いろいろな実験装置を自作して科学教室を開いたりしていますね。
香門さん
文化祭やサイエンスフェスタで科学教室を開いて、子どもと一緒に実験しながら教えるのは楽しかったです。当時の経験は、大学で研究発表するときにも、企業の方など専門外の人にもわかりやすく伝えようという意識に繋がったと思います。
私自身は科学部で、中学2・3年にかけて水ロケット作りに取り組みました。ペットボトルに牛乳パックなどで作った羽をつけ、ある程度水を入れたところで、自転車の空気入れを改良したもので空気をどんどん入れていくと、高圧になった空気の力で水を吹き出しながら飛んでいきます。科学部では市販のキットは利用しない方針だったので、私も空気入れを買いに行って装置を自作、ロケットを改良しながら発射実験を繰り返しました。校舎側のグラウンドからテニスコートに向けて発射していたのですが、ある時、予想以上にロケットが飛んでしまい、道路を隔てた学校の施設の庭に落ちたことがありました。あのときは本当にヒヤヒヤしましたし、先生方に相当叱られました。ただ、大谷は生活指導が厳しい学校ではありましたが、生徒の意思や個性を否定されることはありませんでした。
航空宇宙のエンジニアを志し、東北大学へ
科学部以外でも、宇宙に関わるイベントに積極的に参加されたそうですね。
香門さん
中学3年生の時に、韓国の韓国航空宇宙研究院(KARI)で開催される国際スペースキャンプに参加しました。これは母がネットニュースで見つけて薦めてくれたもので、アジア諸国の中高生が集まり、数日かけて宇宙の未来について語り合うイベントです。「韓国に行ける!」という、よこしまな動機もありつつ参加すると、私以上に宇宙への知識が深い同年代とたくさん話ができ、とても面白い体験でした。
この頃から「私は医師には向いていない」と思い始めたのもあって、宇宙飛行士や航空宇宙企業で働くといった未来を思い描くようになりました。
高校1年生の時には、JAXAの「1日宇宙記者」体験に応募して、ロケットの打ち上げを行っている種子島宇宙センターに行きました。「ロケットなどの宇宙に関わるモノづくりに携わる仕事がしたい」と考えるようになったのは、この体験がきっかけだった思います。
科学部以外でも、宇宙に関わるイベントに積極的に参加されたそうですね。
香門さん
科学部の仲のいい友達と3人で、高校2年の物理で学ぶ気体分子運動論の理論をもとに閉鎖空間ではなく大気のような開放空間で気体分子運動を考えたらどうなるだろうという発想のもと、数式を考えました。
顧問の先生が「宇宙につながる理論研究だよ」と言われたことに乗せられて始めたのですが、自分たちで作った数式での計算結果が、米国標準大気というアメリカのNASAが出しているデータとほぼ一致。それをサイエンスキャッスル関西大会で発表したところ、特別顧問賞を受賞し、シンガポール大会で、英語の口頭発表をすることになりました。英語は苦手なのですが、大谷の英語の先生方がプレゼンの特訓をしてくださったので頑張りました。
その後、東北大学に進学されたのは、航空宇宙工学の専攻があったからですか。
香門さん
はい。AO(総合型選抜)入試が利用できることもあって挑戦しました。書類選考では主に科学部での活動を書いて提出し、その内容を面接でしっかり話せたことが合格につながったように思います。
東北大学ではどのようなことを研究されていたのですか。
香門さん
航空宇宙工学を専攻しました。学部3回生から次世代航空機に使用する材料の研究で有名な先生の研究室に入り、CFRPという炭素繊維複合材料の研究に携わっていました。
CFRPは簡単に言えばプラスチックを炭素繊維で強化した材料で、金属に比べて強くて軽い特性を持つ新しい素材です。ただし高温多湿な環境では強度が変化する特性もあるため、そのような環境下で素材がどう変化するかの実験を繰り返してデータを取るとともに、実際にどのような設計にすればCFRPを有効に活用できるかを、飛行機の翼の設計で検証していました。
企業との共同研究も多かったのでしょうか。
香門さん
そうですね。研究室ではCFRPを開発した国内メーカーと共同研究をしていました。大学院の修士課程ではCFRPの新素材を検証し、高温多湿な環境での実験とともに、その結果をシミュレーションで再現できる理論研究にも取り組みました。
宇宙に携わる職場で、
未知の発見をすることが夢
大学を卒業された今年、宇宙に関わる職場に就職が決まりました。どのようなお仕事をされる予定なのでしょう?
香門さん
種子島にあるセンターでの配属が決まりました。ロケットの打ち上げに関する業務に携わります。特にエンジン回りを担当することになり、燃焼試験を行って性能を確認します。ロケットを製作した方々や載せる宇宙機のプロジェクトの方々の想いが集まる場所なので気が引き締まります。
ご自身のどのようなところが評価されて、採用や配属につながったとお考えですか。
香門さん
同期が40人ほどいるのですが、賢そうな人ばかりで「もしかして私は体育会系枠で採用されたのでは?」と疑っています(笑)。
大学時代は日本代表選手を輩出したこともある東北大学の漕艇部での活動にも熱心で、主将も務めました。また研究室は9割が男子で、女子は私を含め2名しかいない環境だったのですが、全く気にしなかったので、体力があってメンタルも強そうだと思われたのかもしれません。
大谷中高は女子校ですが、男性が多い環境に抵抗はなかったですか。
香門さん
全くありませんでした。むしろ大学に入って、一般的には男女の壁を強く感じている人が多いことに驚きました。大谷では、みんなが自分の意見をはっきり言いますし、文化祭での力仕事も全部自分たちでやらないといけないので、自立心が旺盛になるんだと思います。女子校卒ならではの遠慮のなさで、周りの男子と気兼ねすることなく研究に邁進できました。
今後の夢や目標についてもお聞かせいただけますか。
香門さん
はやぶさ初号機やはやぶさ2は世界で初めて小惑星からサンプルリターンを成功させました。探査機が持って帰ってきた試料は太陽系の起源や人類の始まりを知る手掛かりになります。私も誰も行ったことのないようなところに行き、未知の発見ができる探査機を作りたいです。
またこの先は夢の部分になりますが、チャンスがあれば宇宙飛行士にも挑戦してみたいと思いますし、地球外生命体と出会うようなワクワクする発見ができたら嬉しいです。
最後に、香門さんにとって大谷中学校・高等学校はどんな学校だったのか、改めて教えてください。
香門さん
大谷では周りの人が自分の進路や人生に真剣で、共に頑張って勉強しようという雰囲気がありました。実際に医師になるなど、夢を実現している人がたくさんいます。そういう周りに刺激されて、私も頑張らなければと思えます。それは、在校時も今も変わらずですね。
私にとって大谷は、自分の将来を考える場所でした。そこで親も含め先生や周りの人から、私の性格ややりたいことを否定されず、伸び伸びと自由にさせていただきました。それが大谷という学校の魅力だと思います。