2022年5月に創立130周年を迎えた豊島岡女子学園中学・高等学校。4月27日には東京藝術劇場大ホールにて「創立130周年記念演奏会」が開催され、全校生徒・教職員で共に祝う席が設けられました。
ステージでは吹奏楽部・弦楽合奏部・コーラス部によるオーケストラや琴部による演奏、桃李連による演舞が披露され、進行は放送部が担当。また、130周年記念のグッズや記念誌、演奏会のプログラムデザインも有志の生徒が制作。豊島岡生の多種多様な活動や才能、主体性や課題解決のための行動力を再認識する機会であり、”生徒が祝い、生徒が魅せる“創立130周年になりました。
歴史・伝統におごることなく、生徒のために常に歩み続ける豊島岡女子学園らしさにあふれた創立130周年を紹介します。
創立130周年記念演奏会 レポ―ト
広いオープンステージと1999席の座席が圧巻の東京芸術劇場大ホールにて行われた豊島岡女子学園の「創立130周年記念演奏会」。同校の中学合唱コンクールでも使われる会場ですが、依然としてコロナ対策が求められる今、大ホールに2000人近い全校生徒と教職員が集まり祝えることには特別な感慨がわきます。先生や生徒代表の挨拶、鳩愛会(保護者)や鳩友会(卒業生)代表の方の祝辞にも、長い歴史をもつ豊島岡女子学園への誇りや感謝とともに、この時期に全員で式典を行えた喜びや祝いの言葉があふれました。
記念演奏会の始まりは、吹奏楽部と弦楽合奏部にコーラス部が歌を合わせるという貴重なオーケストラセッション。披露された校歌は、当初の全体合唱の計画を断念したというものの、3クラブのハーモニーが圧巻です。続く「リフレイン」の2曲とともに観客を存分に楽しませてくれました。
次に琴部の25人が「夢の輪」を披露。琴曲に抱く古風で落ち着いたイメージを覆す、力強くも幻想的な音色は、130周年の祝いの場で演奏できる喜びと、全校生徒の前で披露するからこそ知ってほしい琴への熱い思いが伝わってくるようでした。
そして、東京都内で1校だけの阿波踊りのクラブである桃李連による演舞。笑顔を絶やさず元気に踊るパワフルな部員たちの熱い波動は、広い会場の端々まで届き、皆が魅了されました。
夢中になって打ち込む素晴らしさや仲間と支え合い作品を生み出す感動を伝えた記念演奏会。このクラブは一部ですが、十分に豊島岡生の多様性と可能性を感じさせてくれました。観客だった生徒たちも豊島岡女子学園が持つ個性や存在感を知る貴重な機会となったのではないでしょうか。
最後に竹鼻校長は「130周年を新たなスタートして自信と誇りを持ってチャレンジを続けていきます」と挨拶され、学園の長い歴史への感謝と今後の発展のためにと、全員での大きな拍手を誘われました。130周年も新たなスタート。そう捉えて前進する同校の輝きはますます増していきそうです。

4年前から準備された創立130周年に向けて、記念演奏会プログラムや記念誌の表紙も生徒がデザイン。

130周年記念グッズ制作委員 インタビュー?
130周年を迎えた豊島岡女子学園中学校・高等学校では、”生徒による生徒のため“の130周年記念グッズが制作・販売されました。有志の記念グッズ制作委員は、1年以上前に発足。130周年を祝い、生徒が喜んでくれることを目指して紆余曲折の制作期間を過ごした制作委員の4人が、貴重な経験やそれぞれの成長について話してくれました。
■ 向かって右から 高校2年 Hさん[ノート・メモ班チーフ]、高校2年 Kさん[付箋班チーフ]
高校2年 Tさん[ペン班チーフ]、高校2年 Oさん[ファイル班チーフ]
4つの班に分かれ
学年混合で制作
130周年の記念グッズ制作委員に参加したきっかけを教えてください。
Tさん
今までも記念グッズを作ったことはあるようですが、130周年では初めて生徒の手で生徒が欲しいものを作ろうとなったそうで、私たちが中3のときに先生からお声がけいただきました。130周年の記念事業に関われるという大変光栄なお話で、私たちが企画運営させてもらった学年イベント『集羽娯戦』(https://cocorocom.com/school/article/60)終了後の2020年12月にスタートしました。私たちで話し合いを重ね、途中でデザイナーを募集して、私たちそれぞれがチーフとなる4つの班に分かれて制作していきました。
Hさん
大好きな豊島岡の130周年という節目をお祝いしたいと思いました。企業と連携して制作のうえ販売もするということで、普段の学校では学べない貴重な経験ができそうだと思ったことも参加理由です。
Kさん
私は『集羽娯戦』を4人で作ったことがとても楽しく、自分自身も成長できたと思っているので、また4人で活動できるのがすごく魅力的に感じたからです。
Oさん
生徒が周年グッズを制作するという初めての試みに参加できること、自分が制作に関与したグッズを学校内外の多くの方に使っていただけることにワクワクしたからです。
さまざまな考えをまとめ
実現する難しさを知る
『集羽娯戦』は学年イベントでしたが、今回は他学年の先輩や後輩と一緒にグッズを作るということで、別の難しさがあったのでは?
Hさん
私は、他学年の人前で話をしたり、仕切ったりするのが苦手だったため、最初は戸惑いもたくさんありました。でも、3人の様子を見て「見習いたい」と思い、完成までの1年以上を頑張ってきて、最終的には話すことにも慣れ、良いものが作れたと思っています。
Kさん
私も班の人とのコミュニケーションについては反省があります。最初は、後輩に話しかけることができなくて悩み、多くのデザイナーと交流して彼女たちの希望を実現するのも大変でした。それでも最終的には良いと思えるグッズを出せたことが嬉しいです。
Tさん
私たちが高1のときに募集をかけたので、デザイナーの大半が後輩で中学生でした。今まで学校の委員会に参加経験がなく、絵を描きたいという気持ちが強い人が集まったので、最初の頃は会議も収集がつかない状態でした。でも、まずはそれぞれの考えを聞くことを大切に、できるだけみんなの希望を実現したいという思いでやってきました。もちろんできなかった企画も多々ありますが、班全員のデザインを商品化することができたので理想には近づけたと思っています。
Oさん
販売するファイルは、仕切りファイルとノーマルファイルの2種類に決まったのですが、制作途中はデザインできる範囲や色、価格の制約に苦労しました。紆余曲折があった中でデザイナーのモチベーションを保ち、描いてくれたものを活かすためにはどうすればいいかと何回も悩みました。
130周年記念グッズとして
みんなに使ってもらえるものを!
Hさんはノート・メモ班のチーフですね。豊島岡をイメージさせる絵が目立つ可愛い仕上がりですが、制作途中の楽しさや苦労はありましたか。
Hさん
デザイン考案時にはアドバイスしあい、時には意見が対立してしまうこともありましたが、苦労を乗り越える中で班のみんなとの絆が築かれていったように思います。
Kさんがチーフの付せん班はいろいろなイラストで選べる楽しさがあります。
Kさん
私の班は他の班と違い、何の文房具をグッズとして制作するかを考えるところがスタートでした。初めに提案したものはデザインまで進んだものの作ることができず、最終的にデザイン面積にある程度の自由度がある付せんを選びました。実現できなかったグッズに使用するはずだった絵をベースにした付箋もあります。デザイナー本人が表現したかったことが、違った形でも表現できて良かったです。
Tさんはペン班のチーフですね。4種類もあり、かわいい色が揃っています。
Tさん
文房具の中で一番個人のこだわりが出るのがペンだと思います。私も気に入ったシャーペンしか使わないので、みんなに気に入って使ってもらえるものを作ろうという大前提がありました。そこで人気のペンは何かを調べる市場調査から始め、色も100近くあるカラーバリエーションから選びました。中高生がよく暗記に使うオレンジを入れた結果、販売会でもたくさん売れて嬉しかったです。デザインはひと目で豊島岡とわかるものにすることがペン班の共通した認識で、ペンはデザイン範囲が狭いので制約は厳しかったですが、豊島岡の校章に使われている鳩や梅柏のマークを入れてオリジナリティが出るデザインを目指しました。
Oさんはファイル班のチーフですね。2枚で1つの絵柄が出来上がるなどアイデアが詰まっています。
Oさん
ファイル班は、班全体で作った実感があります。ノーマルファイルの表面をつなげると1つのデザインになる提案が出て実現を目指してきました。音楽系クラブの子が描いてくれた音符部分は、実は校歌になっています。また、仕切りファイルの豊島岡の校舎の上がフェイドアウトした絵は「これから先も続くよ」という周年を意識しています。デザイナーの案をさらにブラッシュアップして、より多くの方に喜んでもらえるようにと班全体で何度も話し合いを重ね、こだわれたことが良かったと思います。
やり切った!
この達成感は忘れられない
記念グッズを4月に販売すると、売り切れも続出したそうですね。
Tさん
最初の納品日に完成品を見たときの感動は忘れられません。可愛いと思いましたし、自信をもってお届けできると感じました。販売会では想像を超える人数の人たちに来ていただき、列が1階から4階まで伸びたほどです。受注生産になるほどの驚きの売れ行きになりました。制作途中には利益や予算、在庫の置き場所が課題となり、一度考えたものを白紙に戻したこともありましたが、たくさんの人に手にとっていただき嬉しかったです。
Hさん
第1回販売会後の「やり切った」という達成感は忘れられません。今までの苦労が報われたなと思います。
Kさん
私は販売会当日の誘導を担当していたので、たくさんの人が「買いたい!」と思っていることが感じられて嬉しかったです。友達にも好評で、制作して良かったと思いました。
Oさん
デザインしたとおりの可愛いファイルが出来上がり大満足です。販売会ではいろいろな種類をたくさん買ってくれた人もいたし、入学したばかりの中1など低学年の人が買ってくれるのかと思っていたら、高2の同級生や高3の先輩もたくさん買いに来てくれました。クラスの友達が実際に使ってくれているのを見たときは、とても嬉しかったです。
自分のやりたいことや好きなことを
堂々とできる豊島岡
130周年を迎えた豊島岡女子学園。在校生としてひと言お願いします。
Tさん
みんなの圧倒的な個性が豊島岡の良さです。自分を受け入れてくれる人がたくさんいる豊島岡は居心地が最高で毎日が楽しいです!
Kさん
豊島岡は、生徒それぞれが自分のやりたいことや好きなことを堂々とできるのがとても良いと思います。先生方が生徒のやりたいことに向き合いサポートしてくださるのも魅力です。
Oさん
一人ひとりが自分の活躍の場を持っていることが、豊島岡の良さだと思います。クラブ活動、運動会や桃李祭の運営、生徒会活動、委員会活動など、自分のやりたいことや頑張れるものを見つけ、全力で取り組んでいる人がとても多い学校です。
Hさん
一言では表せないくらい、魅力あふれる学校です。私はこの学校で毎日幸せです!
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130周年 豊島岡女子学園 校長インタビュー
校長 竹鼻 志乃先生
順風満帆ではない歴史
今後も工夫を続けていく
130周年を迎えた豊島岡女子学園の現校長としての思いをお聞かせください。
竹鼻先生
私は授業で学校史を教えています。式典の祝辞で、中学の生徒会長が「苦労の連続だった」という話を持ち出してくれましたが、これまで伝えてきたことを覚えていてくれたと嬉しく思いました。
本校は決して順風満帆な歴史を歩んできたわけではなく、各時代のニーズに応える苦労があり、非常に工夫を重ねてここまでやってきた学校です。これからも積極的に工夫をしていかなければいけないと改めて感じています。
現在の貴校を見て”苦労“というイメージはあまり湧きませんが、学校史の授業ではどのようなお話をされるのですか。
竹鼻先生
本校は高名な方が開校したわけではなく、譲り受けた学校を守っていくために河村ツネ先生とその娘の女性3人が大きくしてきた学校です。生徒数の増加にともない土地がないため何度も移転して、最終的には戦争で校舎も焼け落ち、他校の教室を借りるといった経験もしています。
第4代校長の二木謙三先生が苦心されたから立ち消えることなく今も続いていると思いますし、第5代校長の二木友吉先生が工夫なさったので、これだけ多くの生徒が集まる大きな学校になったと話しています。
学校は
授業を行うだけの場所ではない
コロナ禍を経たことで、校内の伝承にも変化があるのでしょうか。
竹鼻先生
残念ながらコロナによってずいぶん変わってしまいました。以前は普通教室や特別教室のほかにトイレ掃除も生徒がやっていましたが、今はお願いできなくなりました。「創立130周年記念演奏会」では予定していた校歌の全体合唱ができませんでしたが、この3年間は学校の式典や行事で校歌を一切歌っていませんから校歌が歌えない生徒もいます。
コロナによる変化が起こる中で、守られたことやこだわられたことはありましたか。
竹鼻先生
対面での学びにこだわり、昨年(2021年度)もオンライン授業は一切行いませんでした。校内でもオンライン化は進んでいますから、授業だけなら可能ですが、学校は授業を行うだけの場所ではありません。人が集まり、いろいろな苦労や喜びを皆で共有する体験の方が大切だと思いますから、行事の準備のためにもクラブ活動のためにも生徒を学校に来させたいと考え、予防に努めて対面授業を続けました。
それこそ学校の姿勢の表れですね。
竹鼻先生
オンラインの授業を行うことはできますが、やったからといって生徒に学力が定着するかは別問題です。コロナ禍1年目(2020年)の4月から6月まではオンライン授業を行いましたが、その結果に良さを見出せず、やはり対面に勝るものはないというのが私たちの実感でしたから、対面授業にこだわっています。
現状では、対面授業や皆で喜びを共有し合う教育には、先生方のご苦労もあるかと思いますが。
竹鼻先生
本校の教員は生徒の笑顔のために、生徒の成長のためにといった気持ちで一つにまとまっています。生徒が喜ぶなら、生徒のためになるなら、という思いが先生たちの原動力です。
また、在校中だけ良ければいいと望んでいるわけではなく、社会に出てから活躍できる人を育てたいと思っています。ですから、「大変だろうから、今はやめておく」のではなく、「やるべき時期にやるべきことをやらせないといけない」と考えています。
その考えも学校として受け継がれてきたことですか。
竹鼻先生
あえて方針として打ち出しているわけではないですが、今、卒業生が探究活動にティーチングアシスタント(TA)として協力してくれ、土曜の午後にもTGサポーターとして在校生の学習アドバイスや相談のために来校してくれます。中学生のキャリア教育ではインタビューも受けてくれます。
その卒業生から「卒業後の今、豊島岡での教育が生きている」といった話を聞くと、自分たちのやり方を続けてきて良かったと思います。在学中は多くのいろいろなことをやらされて大変だったと思いますが、卒後後に「良かった」「生きている」と思ってくれればそれで良いのです。
機会が多いことで
生徒の活躍の場が生まれる
貴校を取材させていただくと、在校中は1年を通して次々と取り組みがあり、日々の勉強と並行して本当に忙しい毎日を送りながら、時間管理や行動力など将来に生きる力を身につけていくと感じます。
竹鼻先生
多くの行事を行うのは、いろいろな機会があることで、それぞれの生徒が活躍できる場が生まれるからです。どれだけ積極的な生徒でも、すべてを取り仕切る生徒はいません。学年を追うごとに、徐々に自分の得意な分野で力を発揮することを学び、そこで活躍していきます。
また、機会の中で先輩に触れて、憧れの先輩を見つけることも大切です。先輩と後輩で関わると、気配りができるようになり、特に先輩は自身の経験から後輩の悩みや不安に気づけ、優しくなれます。
本校では運動会の応援委員などいろいろな機会に上下の関係を作っていきますが、厳しい上下関係ではなく、後輩への優しい指導と先輩への憧れの関係によって生徒たちは成長します。
そういった多くの機会の中で生徒が成長するという世間のイメージは、今の貴校には薄いような気がします。
竹鼻先生
世間的には医学部に行く生徒が多い進学校というイメージのようです。実際に実積が物語っていますが、学校としては説明会で進学実績について一切お話ししていません。生徒が希望する進路を叶えられるような学力をつけさせることは学校の使命です。そこで医学部に行きたい生徒がいれば医学部に行ける学力をつけさせるのは当たり前なのです。
昔は進学実績についてお伝えしていました。大学進学実績を事細かに説明することを最初にやった学校だったそうです。当時は運動会も文化祭も全部教員主導で、生徒に活躍する場はありませんでした。それを15年ほど前に、まずは生徒会を生徒主体でやらせる先生が現れ、その方がいいと思う先生たちがいて、学校が変わっていったのです。今では、生徒が楽しめる学校であることをお伝えする方針に変えました。
中学から学ぶと
愛校心がより育つ
130周年となると、いろいろな面で変化や苦労がありますね。
竹鼻先生
学校の校風も変わってきました。中学入学生が増え、中学から高校へ上がる生徒が多くなると、学校自体がにぎやかになり、活気づきます。中学から学んでいくと愛校心もより育ち、先生たちも「生徒をもっと楽しませたい」という気持ちになります。
中高一貫校となり、130周年を迎えた今後が楽しみです。
竹鼻先生
130周年は完全中高一貫校になったうえでの新しいスタートです。6カ年でどれだけ成長させるか。そのためのプログラムの確立を急がなくてはと思っています。
これから6カ年でどういった生徒を育てたいですか。
竹鼻先生
新たなスタートではありますが、育てたい生徒像は昔から変わらないと思います。教育方針「道義実践」「勤勉努力」「一能専念」を実現できる人がいいですね。この3つの方針は在校中だけのものではない非常に良いものだと思っています。一能に専念できる力があれば他にも適応できます。コツコツと真面目に努力することに勝るものはなく、そういう準備ができている人にしかチャンスは巡ってこないでしょう。
この学校で学び、卒業したあとの人物像は?
竹鼻先生
幸せな人生を送ってもらえればよく、自分の世界でやりがいを感じながら自分らしく活躍してほしいです。そこで「豊島岡で鍛えられたから大丈夫」と思ってもらえるような教育をしたいですね。
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